主婦論 家事論 家族論 その二 | みんななかよく

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えー、同題その一の続きです。本当は「身辺雑記」とか「フェミニズム」とか「生活からの思索」とか、しみじみとか偉そうとか興味をひきそうなテーマ(ジャンル分け)をしたほうがいいのだけど、前と同じ分類にしておきます。


教育基本法に関してあれこれ書いたので、間があきました。古びるネタではないから後回しでもいいけど、今書かないと考えていることを忘れるから。

ただ、「その一」と違って、「弱者男子」の専業主夫志向を直接に議論の素材とするものではありません。ただきっかけとしてだけ触れることにします。

それは、未婚の若い人だと「家事」というのは軽いものと思われていそうだな、という感慨です。



専業主婦は昭和ぐらいに一般化したようですが、広まったのは戦後でしょうか。農業所帯、中小自営の商家などが減り、勤労者世帯が増えたので、家事専業という主婦が増加した。

「おんな役割」だとか「主婦論」だとかいうのは女性学でも論じられているのですが、わたしは殆ど知らない。

ここでは祖母や母親から聞いたり、自分の育つときの家の家事をもとに、家庭内労働と主婦(主夫)役割を述べます。

たまたま読んだ女性学研究者などとか、また他の方でも自分の家の経験からいうとおかしいぞ、と思ったらご指摘ください。


まず家事というのは時代や社会のありよう、その家の家業などによって多様です。

商品生産と分化しにくい家事もある。例えば農家が自家消費以上の漬物を作ったら、家事と「金銭収入を得られる仕事」とが一緒くた。

消費の形態も大変化した。昔は着物は反物で買ってきて、自分で仕立てるか誰かに頼むかしたはずです。江戸時代だと仕立ててある着物は古着屋でないと売ってなかったんじゃないかな。

そんな古いお話でなくても、女性が裁縫をすることは一般的で昭和40年代ぐらいまでは、子供服とか夏の簡単服の型紙なんて付録が「主婦の友」や「主婦と生活」などの家庭雑誌についていました。

家事サービスを家庭内で発生させ外生化することを最小限にする。これを「やりくり」といいました。

(って、そんなに古い日本語ではないか)


そうした家事がどんどん商品やサービスの形で購入するものになっていったわけです。

昔も忙しい商家などは、お惣菜を買うことは多かったでしょうが、今は消費が多様化・高級化して惣菜の数も激増した。

清涼飲料だってペットボトルで買うでしょ。うちは昔ながらに麦茶を沸かして冷やしておくけどね。

そうやって家事サービスというか、生活局面のかなりなものが財として購入するようになったのです。

いまや「主婦業」は衰退産業か?

今でも、自分で料理するほうがお惣菜よりずっと割安ですが、手間とコストのパフォーマンスでいうと、5、6人家族だと自家生産の方が張り合いがいい。自分一人や二人の食事を作るのだと、買って来る安直さの効用と価格が自分で作る場合の手間と節約利益との比較で、心理的には拮抗しがち。


こうして家族数の減少と経済活動の進展によって、家事の質も変化したし、主婦役割も変わってきた。

身の回りの最低限の家事ができるなら、他人に家事サービスを期待しないでも生活できます。


それも育児があると話は別です。

また、何でも購入するのはやはり割高ですから、家事は残ります。

クリーニングや掃除代行の価格で家事を計測したら、すごい価格になるよ。きっと。



それにしても家事サービスの外生化、外注化は進みます。

その理由は一つには家族数減少(需要側のファクター)、もう一つは生活関連産業のイノベーション(供給側のファクター)なんだろうと思う。

そろそろお正月の準備だから、おせち料理を例にとると、黒豆、てりごまめ、などなどを2人分つくるのと6人分つくるのと、手間は3倍ではない。煮豆のような装置産業的料理(今考えた用語。量を作るほうがうまくできる)などは、少人数家族に向かないのです。昔は伊達巻だって家で作ったんだよなあ。


食品産業のイノベーションも見逃がせない。もう20年以上前かな。もっと前だよな。晴海の包装機械の見本市に行ったことがあるけど、お握りやおすしの成型機やお握りをラップする機械が出店されていました。

おいなりさんだってチェーン店ができて、都会では自分で作るうちは激減したと思う。昔は海苔巻きやおいなりさんは運動会のお弁当などに家で作るものだった。


もっといろいろな議論が家事についてはできるけど、多くはまた今度にします。

ともかく家事のかなりな部分が購入できるものになった、と言うのがポイントの一つ。しかし、外食は割高だから、ある「家庭企業」がお弁当などを内生化してコストダウンを図る余地はあるし、家事従業者のスキルによって節約できる部分もある。ただその計測は難しい。


オチはつかないけど、ネタっぽい話をすれば、男女役割分担肯定、専業主婦礼賛の女性でも、夫から細かく仕事内容を評価・査定されたら怒るだろうということです。

「真心こめて作った料理」という情緒的な評価は好んでも、市販のルーを使ったカレーは手抜きなんていわれたら逆切れするよ。(夏に小一時間玉葱を煮溶かして野菜ルーなんて普通作る人いないから、カレーはいいとして、クリームシチューなんてホワイトソースを自分で作らないと手抜きと考える主婦はいると思う)

主婦は自分で裁量するからやってられるので、舅・姑・夫に査定されたらたまらないだろうな。


保守派の家事をめぐる言説はとかく情緒的になりがち。

「家事は愛!」という納涼ネタもあったっけ。

新聞読みながら上の空で自分の作った料理をだんつくが食べていても、「家事は愛」と自己満足できる主婦と言うのは何らかの心理的抑圧があるのではないかなあ。