“右と左のイメージ”の変遷史 | みんななかよく

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ヘイトコメントを哂え!
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アッテンボローさんのところから、「ヘイトコメント哂えブログ」に収集したコメントで以下のようなものがありました。


>30代以上で保守になれない人間は一部除いて何もなしとげなかった人間なんだろうな。「頭が無い」というのはそういう意味だと思うのだが。


言い切るもんですねえ。身近なところでは、政治性はあんまりないけど佐高信を面白がっているし自民党に投票しそうもないアタシの兄なんぞジャガーに乗って娘二人を私立にあげているけど、まあいいや。

保守って、自分が成し遂げたことを守るって意味なのか、はなはだ疑問。難しい司法試験に受かった法律家は、みんな保守的で、日弁連は人権擁護より社会秩序や日本の名誉の保護に熱心・・・というわけではないんですけどね。

なんかいかにもプチ成り上がり根性であります。


これだから今の若い衆は物を知らないで困る。

進歩派とかサヨクとか保守ならざる人たち(「革新」という用語は戦後政治でこそ社・共両党や「革新都政」と結びつくけど、戦前は岸信介などを指していた)はエリートが多かった。むか~~しは、アカにかぶれるというのはエリート学生さんだったのよー。

農民運動、労働運動から出てきた活動家、社会主義者などもいたけれど、日本の左翼思想は書物として入ってきて、講壇から説教されていた。戦前のいろいろな文化、例えば新劇などの「傾向的」(死後数十年の死語だな)なものも、けっこういいうちの子女がやっていたらしいし。

まあ、イタリアなんかでもユーロコミュニズムでひところ鳴らした共産党のベルリンゲルさんは貴族の出だというし、社会階層はアッパーでも政治信条は左というのは珍しいことではない。


「平塚らいてうの生涯」という映画をみたら、裕福な家の出で優雅なものです。そもそも明治末に女子で高等教育を受けているのだから低い社会階層ではないわけです。

だから昔は、

サヨク・進歩派は「ええとこのぼんぼん」

のイメージが強かったはず。そういう人がたたき上げの中で理屈っぽかったり政治性の強い「労働者諸君」に働きかけていったのでしょう。だから、学生運動の時代まで、サヨクのコンプレックスは「ブッキッシュな知識はあるけど、世間を知らない」というところにあって、「一人下放」じゃないけど下層の労働現場にいった人も多い。


一方で右さんはどうかというと、街宣右翼さんは特殊すぎて、一般のイメージとしては突出しすぎている。保守系社会活動家というのは層が薄かったんだろうと思います。戦前なら院外団とか羽織ゴロといわれたような人というのも保守系のアクティブな市民層とはいい難い。フィクサーとか黒幕につながる人たちって、情報を大衆に知らせる前に自分達の利権にするのがお仕事(しのぎ)でしょうから、大衆性とは矛盾しそう。

現実の支配機構にも際立った保守派はいましたし今もいますが、そういう人は学校エリートや富裕層のなかでゴリな政治信条の持ち主というだけで、社会階層や上品・下品とはイメージ的には関係が薄い。

保守派はこれというイメージがない

というべきか。デモなどせずに後楽園に野球を見に行けば、時の首相から信頼される市民だったのです。(ってわかる人しかわからないな)


年齢的にいえば、1960年代、70年代は世界的に学生の反乱の時代でしたから、サヨクというか社会的平等や市民的権利を主張する人は青年客気の印象を与えた。この辺、若い人に説明するのは面倒だから「若者たち」という映画の情報を貼り付けちゃえ。

http://www.cdist.co.jp/movie/0009.html


かたや、「日の丸」を掲げて、戦前の日本に郷愁を感じて、という人は、年配者に多かったから、保守というのは中高年のものでした。


ところが、今や経済大国になったし、サヨクは組織が硬直して若い人は入らないしで、右・左のイメージはガラッと変わった。

大雑把に言うと

60~70年代      サヨク・・・学生    ホシュ・・・地方の商店主

90年代~00年代   サヨク・・・官公労の構成員  ホシュ・・・青年会議所メンバーの経営者

というイメージでしょう。(右翼さんは希少すぎる。)

ネトウヨはどうかって? 

70年代にはもちろんいません。(インターネットがないばかりでなく、ああいう感性がない。保守青年は若い根っこの会なのよ。差別語投げつけて喜ぶようなあんちゃんじゃないの)

現在のネトウヨは、青年会議所メンバーの若手経営者の本を読んで自分でもひとかどになった気になっている若者、かな。