オバァとオジィしかいないド平日のコザ・・・ | そうべいのブログ

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明日の夜、”帰国の途”に着く私、写真人・・・。
あっと言う間の四泊五日になる・・・はぁ~・・・短いな・・・。
やはり最低、10日は必要だなっ・・・沖縄に”堕ちる”には・・・。

でっ、今回、月曜日から金曜日という丸々”ド平日”の滞在。
昼間、コザの街に出てみても歩いているのはオバァとオジィばかり・・・
私、写真人好みの安室奈美恵系の小顔で眉毛を極限まで細く揃えたかわいいおねぇ~さんにはなかなか出会えない・・・。ゲストハウスの”ボス”に聞けば週末のコザ・・・胡屋あたりは若い子達で賑わっているという・・・。
(おっ、となりの”あやしい三線アメリカヤロー”が三線を弾き始めたぞっ!)

ゲストハウスのそばにある公園。昨日はあいにくの雨だった・・・お昼過ぎにはやんだのだけど・・・。
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とっ、あずま屋で何やらオバァ達が集まってやっている・・・なんだろう???
わざわざこんな雨降りの日に公園に集まらなくても良いのに・・・。
階段を飛び降りて訪ねてみる。
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可愛らしい人形を作っている。
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パーツ別にオバァ三人が・・・ピエロを布で縫っている。
「こんちは!この人形、どうするんですか!?」
撮影しながら声をかける。
「売るのさぁ~・・・写真なんて撮ってどうするさぁ~・・・」
カメラにはまるで興味がないかのように人形を縫いながら話す・・・私、写真人も答える・・・。
「売るのさぁ~」
・・・多分、私、写真人のヘタレた写真なんて買い取ってくれるところはないのだろうけど、オバァ達が作っている人形は手作りで可愛くて売れそうである・・・。

「この辺のオバァ達はほとんどが一人暮らしだからね・・・。家にいても一人ぼっちでつまらないから、皆公園や商店街のベンチとかに集まるんだよね・・・。声をかけると気軽に応じてくれてあれこれ昔話をしてくれるよ・・・」
ゲストハウスに”住んでいる”長老の話・・・なるほど・・・合点だっ!


ゲストハウスに付いてウロウロ怪しげに散歩していたら、気になる散髪屋があった。
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別に髪は伸びていないのだけど、懐かしい散髪屋なので散髪することにする。
店に入ると予想通り誰もいない・・・お客ではなく・・・ご主人さんすらいない・・・。
入口にあったブザーのボタンを押す。
ほどなくして二階の住まいと思われる階段を下りてきたオジィ・・・店の雰囲気にマッチしている。
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料金は”段階式”・・・何がどう違うのか・・・?!
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取り敢えず散髪リクエストとしては髪を揃える程度・・・多分、1000円だろう・・・。
周辺にも700円、800円と安い散髪屋はあったのだが、店の雰囲気で選んだ。
「短く揃えてくださいね・・・髪が薄くなってきたので目立たないように・・・お願いします。」
「ハイッ、ハイッ・・・お客さんはウチは初めてだったかな!?」
「初めてですよ・・・初めても何もコザに滞在する事自体初めてですから・・・。お父さんはコザの生まれなんですか!?」
「生まれは北部のほうですよ。オヤジが散髪屋をコザで始めてね・・・それで引越してきたんです・・・。」
心地良いハサミの音を立てながら答えてくれる。
「戦後から親子二代でこのコザで散髪屋をやっていましてね・・・。昔はコザ十字路のあたりにもう一軒お店もあったんですよ。」
「へぇ~・・・じゃぁ~お父さんはコザの事、良くご存知なんですね・・・。返還前までのコザはどんな感じだったんですか!?」
「そりゃ~景気は良かったね・・・。もともとオヤジ一人で散髪屋を切り盛りしていたのだけど、お客さんがたえなくてね・・・それで、兄弟やら親戚も呼んで二軒の散髪屋をやることになったんですよ。その頃は米軍のお客さんがほとんどでね・・・お店は大変繁盛してましたよ。」
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「散髪代はいくらだったんですか!?」
「そうだね・・・私が店を手伝うようになった’50年代の頃で1ドルちょっとかなっ!?当時の米軍さんは基地の外にも住んでいてね・・・今より規則がうるさくて特に頭髪のチェックはうるさかったみたいだね・・・。だから毎週散髪に来てくれてましたよ・・・」
「じゃぁ~かなり儲かったでしょ!」
「一ドルが360円の時代だからねぇ・・・日本本土より散髪代は高かった事になるんじゃないかなっ!?お年玉やちょっとしたご祝儀によく一ドル札を包んだもんだよ・・・。だから一ドルとはいえ我々沖縄人にとっても結構な価値があったね・・・。」
「へぇ~・・・じゃ~コザで商売をしていた人たちは皆お金持ちだったんですね(笑。」
「今ではこの辺の商店街も寂れてシャッターが降りているお店が多いけど、当時は道一杯にシボレーの大きなアメ車が停まっていたよ。」
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「今じゃ考えられませんね・・・なんでこんなにサビれてしまったんですかね・・・」
「日本に返還された事が大きいね・・・。米軍はなんだかんだと沖縄を大切にしてくれたけど、日本政府は全く沖縄を大切にしてくれなかったから・・・。ただ本土復帰を目指していただけでしょ・・・復帰したらほったらかし・・・。
米軍も復帰後は基地の中で過ごすようになったから、以前ほど毎日のように基地の外で買い物をしたり遊んだりしなくなったね・・・」
「じゃ~お父さんは米軍はきらいじゃ~ない!?」
「好きとか嫌いじゃなくて、生活の一部。沖縄の戦後の復興は米軍のおかげだからね・・・日本政府は何もしてくれてないでしょ・・・」
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「ボクは神奈川から来たんですけど、よく基地問題がニュースや新聞で騒がれてますけど、地元ではどうなんですかね・・・。辺野古への基地移転問題とか・・・」
「元々、辺野古の基地移転は昔から計画されていた事だからね。北部出身の私としては大歓迎だよ。北部は何もないし人もほとんど住んでいないからね。基地ができれば建設のために仕事も増えるし、土地の借地権でお金も入る・・・。お店ができたり道路が新しくできたりと悪い事はないね・・・。随分前から土地の測量も始めていて、工事の計画に入る頃になって・・・民主党が辺野古移転中止、県外移転なんて言い始めたからおかしくなった・・・。元々、歴代の知事は賛成してたからね・・・。政治家の”革新党”だとかで皆、選挙に勝ちたいから辺野古を反対しているだけでしょ・・・。今度の安倍首相が辺野古移転を決めたら、手のひら返したように賛成派が増えるんじゃないかな・・・。辺野古で座り込みをしている連中だって半分は地元の人間じゃないからね・・・。基地反対派の人間がやっている事だから・・・」
「・・・でも基地ができるとなったら・・・危険と言われているオスプレイ(戦闘ヘリ)とか配備されたら大変じゃないんですか!?」
「米軍の基地には他にも危険な戦闘機は一杯あるよ(笑。何もオスプレイだけじゃないよ・・・。もしミサイルを積んでいる戦闘機が落ちたら小学校なんて吹っ飛ぶからね(笑。またそうやって選挙のために騒いでいるんでしょ日本の政治家は・・・。基地をなくしたらその跡地に工場や学校や公園なんて日本政府が作ってくれるのかな・・・。多分それはないだろうね・・・また沖縄はほったらかしにされるだけ・・・。それならまだ基地があった方がマシだよ・・・」
「もし、沖縄の基地がすべて返還されたらコザは以前のような活気を取り戻しますかね!?」
「そりゃ~無理だろう・・・米軍がいなくなっちゃうんだから・・・(笑」
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チョキチョキと小刻みな音を立てながら話をしてくれるお父さん・・・話をしていても視線は髪から離れず、手を休める事なくあれこれ聞かせてくれた・・・ゆっくりと時間が流れているような気がした・・・。
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散髪屋のお父さんは基地の事だけではなく、返還前のコザについて懐かしそうに・・・楽しそうに話してくれた・・・。
最後に写真をパチリッ・・・静かにシャッターを切る。
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「散髪したあとにチップを渡してくれた時代が懐かしいよ・・・」
「・・・ところでお父さん・・・おいくつ何ですか・・・75歳くらいですか・・・!?」
「ハハハッ・・・そんなに”若く”見えるかね・・・今年で86歳だよ・・・」

ゲェ~~~御年・86歳のご老人に散髪してもらうとはっ!
・・・後で思ったが・・・よく首筋にカミソリを充ててもらったモンだっ・・・。
でも、腕は確かだった・・・。

・・・最後に・・・「お代は!?」・・・と訪ねたところ・・・ちょっと考えてから・・・「・・・うぅ~~ん・・・1500円」と答えたあたり・・・なかなかの商売上手であるっ・・・でも・・・帰りしな土産でスプライト(炭酸飲料)をくれたけど・・・・


オバァにオジィ・・・皆、昔のコザの事にたずねると・・・楽しそうに・・・懐かしそうに話す。
本当に良い時代だったなんだろうなぁ~。
当時もジェット機の騒音はうるさく、”不良海兵隊”も数多くいただろうに・・・誰もそのことは言わない・・・責めない・・・。現在になってあれこれ言っているのは政治家とマスコミくらいのものかっ!?


ハァ~~・・・しかしときめくようなかわいいおねぇ~さんとお話がしたいなぁ・・・。
でも、オバァやオジィの良き頃のコザの話を聞いているだけでも結構ときめく私、写真人なのであるっ