津波被害の大きな違い(いわき市 沼ノ内、薄磯地区) | そうべいのブログ

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今回、いわき市の海岸線を車で走っていて気付いた事がある。
場所のよってかなり被害の大きさが違うと言う事。海岸部のすべての地域が壊滅的な被害を受けたのではない。豊間地区を訪れた翌日、津波で通行止めになっていた国道6号線を(3月31日現在)四倉から海岸線を通って豊間を目指す。小名浜から豊間を目指した逆のルートと言う事になる。

いわき市の海岸線はどこきれいな砂浜が広がっている・・・はずなのだが・・・砂浜は崩れている。
今は何事なかったのように以前のような静かな海となっている。
砂浜の向う・・・300ミリの望遠レンズで福島第一原発を望む。距離にして40キロ以上だろうか・・・。
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何も見る事が出来ない・・・。
静かな海を渡って“目に見えない敵“はやってきている・・・。
地元でもなく生活しているわけでもない、私、写真人・・・オロオロ、ジタバタしない。
生活している地元住民の方々に失礼である。地元の方々は毎日、不安を抱えながらもいつも通りに生活をしてい
るのだから・・・。ヒマ人&ノ~天気な私、写真人が原発事故ついて能書きを垂れる事は出来ない・・・大人しくしておく事が一番だと考える。

砂浜は沼ノ内地区。
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防波堤を挟んですぐの所に民家が建ち並ぶ。
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目の前が海岸と言う立地なのだが大きな被害はない・・・他の悲惨極まる地域と比較しての事だが・・・。
住民のほとんどは避難している。避難先から自宅を気にして様子を見に来る方々も多い。
息子さんの自宅に避難していると言うお父さんに話を伺った。
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「豊間、四倉と見て来たんですけど、この辺は比較的大きな被害がありませんね・・・。
この地区の南北両側は大変な状態なのに・・・。」
半壊の家はあるものの、津波で流された家はほとんどない。
「津波はすごかったよ・・・南東の方向から黒い壁が迫って来たからね・・・。」
また“黒い壁”である。この地域の方々は津波を“大きな波“と呼ばずに、黒い壁と呼ぶ。想像を超え、海がどの様な状態だったのか・・・脳みそがフリーズする。
「あそこに大きな山みたいな岬があるだろう。この辺はあの岬のおかげで大きな被害をまぬがれたんだ。亡くなった人はほとんど出てないんじゃないかな・・・。」
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砂浜が続くいわき市の浜通り、富神崎という大きな山の様な岬が突き出している。
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「車で行けるかどうか分からないけど、あの岬の向こう側に行って見ると良いよ・・・大変な事になっているか
ら・・・。」
「失礼します。」と丁寧な挨拶をして別れた。

高台の県道を走る。海岸とは目と鼻の先・・・ガソリンスタンドやコンビニが普通に営業している。
この地域格差が“いわき市の悲劇“と思ってしまう。原発事故の影響もあり、震災被害の状況が速度を増
して風化して行きそうな・・・気がする・・・。市や県、国む含めて(またマスメディアも含めて)しっかりと見
守って復興を目指して頂きたい。・・・人が亡くなっている以上、被害の大きさは関係ない・・・。

富神崎の付け根を目指したが、もともと道がない様だ。
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仕方なく県道を戻り豊間を目指す・・・5分ほどで到着。今までお話を伺った方々が言っていた豊間である。
地区の入り口は一般車侵入禁止のため津波で流されて来た車が門の変わりに置いてある。
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車の向うは・・・映画「マッドマックス」・・・のようだ・・・。目の前の現実を全く受け止められない・・・。
仕事で来ていたのなら躊躇なく突入するのであろうが、今回はあくまでプライベート。
入るか・・・入らざるべきか・・・。他の地域と違い多くの被災者の方々が訪れている・・・。
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もじもじしていると地元の方に声ををかけられる。
「ここはほとんどマスコミが来てないから・・・。“いわき市の中心部はほとんど被害受けていないから大丈夫だろう”・・・なんて思われているんだよね・・・。唯一、民放のいわき市出身の記者がビデオカメラ片手あっちこっち撮影してるけど、全くニュースの流れないからね・・・福島は原発事故の福島だから・・・。写真、撮って行って下さいよ。」

「お邪魔します」
プライベートで来ているのであくまでも謙虚。
仕事だと図々しくどこでもズカズカ入って行くのだが・・・。

いわき市で最も被害の大きかった 地区。
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震災から一週間以上たって自衛隊や消防が本格的に捜索を始めた。
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自衛隊の広報部の隊員がカメラ(ちなみに使用機材はキヤノン)片手に目の付く所はすべて撮影していた(JRAの広報より愛想が良い!)。どの位の被害状況か尋ねてみた。
「我々も最近入って来たばかりなので具体的な被害状況を把握しきれていないんですよ。死者行方不明者120人以上とは聞かされてますが、毎日ご遺体が発見される状況ですから・・・。最終的な被害状況の発表までには当分時間がかかりそうですね・・・。」
自衛隊の皆様も大変である。いわき市には西日本の部隊が中心に活動しているという。
海あり、温泉あり、食べ物もおいしいいわき市・・・どうせなら任務以外で訪れて頂きたかった・・・。

「丘の上にある小学校が避難所になっている様です。訪ねてみて下さい。」
丁寧な対応の広報部の隊員の方に勧められたが・・・。
元来が"アスペルガー症候群"&"現実逃避グセ"の私、写真人・・・カメラ片手に何をすれば良いのだろうと思ってしまう・・・。
何も出来ないのは明白なので、時間はあるがあえて訪ねる事はしなかった。

比較的、海岸に近い方に豊間中学校がある。
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本来なら広域避難場所に指定されているのだろうが、その機能は果たしていなかった。
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「入学式があるって聞いたんだけど・・・これじゃ無理だね・・・。」
学校の様子を見に来た方がボソッともらす。
「せっかくだから、学校でも見ていくか・・・」

この地区は地震の直後停電となり、防災無線やサイレン等の警告が住民に十分伝わらなかったという。
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また海岸から一キロ余りの所に、小高い山が南北に二つある。非難出来た住民は山に近い方に限られたらしい。
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海岸近くで過ごしていた住民は二回、三回と襲ってきた津波に流され、町に流れ込んだ津波は山に当たって折り返しの津波となったようだ。そのため町中心では流された家や車が凄まじく巨大な渦を巻いていた・・・。
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第一波の津波で難を逃れても山にぶつかって威力を増した第二波に巻き込まれて亡くなった方が多い。

「・・・ここに住んでいた姉が震災の三日後に発見されたけど体中、傷だらけだったからね・・・。でも、五体満足で良かったよ・・・。顔はきれいだったしね・・・。」
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未だに行方が分からない身内の方を探していらっしゃる方が多い。
・・・惨い(むごい)話だが・・・津波で流された車や瓦礫で・・・体が・・・やめておこう・・・。
こんな事、書く意味がない・・・。

写真は3月31日現在だが、未だいわき市は瓦礫の整理が全く進んでいない。
「・・・いわきは完全に(復興から)取り残されてるね・・・。」
そうおっしゃる地元の方は多い・・・。

「ほれ、あそこで消防や自衛隊が囲んで瓦礫の撤去してるでしょ。あそこ・・・多分・・・遺体があるだろう・・・って事なんだよね・・・。だから、遺体を崩さないように慎重に瓦礫の撤去をしてるのさ・・・」
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半ば怒りを込めたように教えて頂いた。


あまりニュース報道をされていないいわき市を訪れて一週間が経ったが、その後進展はあったのであろうか・・・。先日も震度6クラスの地震が福島県を襲った。二次災害も懸念される。
また福島県は他の被害を受けた県と違い、被災地の瓦礫の撤去が完全に終わっても”目に見えない瓦礫”・・・
放射能物質の撤去が完全に終わるのはいつになるのか・・・不安が残る。

せめて住民の方々の生活だけは一日も早い復興が待たれる・・・。

★注意★

ここの記載されている写真と本文は関係ありません。
また、個々の発言についてもあくまでも地元個人の方々意見であり、
私、写真人の意見&いわき市民全体の意見ではないという事です。

プライバシーの保護のため、お話を伺った方々の個人情報等は一切公表致しません。
また、関係者からの要望により記事の削除、修正をする場合があります。