あの時とは明らかに違う・・・。 | そうべいのブログ

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奈良県出身の私、写真人・・・幼少期、青春期を関西で過ごしていた・・・。

1995年、1月17日・・・阪神淡路大震災が発生した。
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多くの友人や親族に連絡が連絡がつかず、ヤキモキしていたが・・・。
マンションに閉じ込められた友人、会社が震災に遭い職を失った友人、一ヶ月ほど避難所で生活していた叔母党等・・・大阪の友人はボランティアで毎週末、土日は神戸の復興に向かっていた。

当時、まだ若くて独身だった私、写真人・・・”お気楽ノー天気”・・・「大丈夫、日本人は逆行に強いから復興の日は近い!」・・・なんて思っていたが・・・。でもそれはあくまでも表面的なもの。街並みが元通りになれど、人々の心の傷は・・・そんな事まで考えていなかった若くておバカさんだった私、写真人。

阪神淡路大震災の一年後、奈良に住む叔母を訪ねる。
「地震で仕事を失って・・・。息子が大学受験の年やったからお金が必要でね・・・自宅・・・売ったんよ。
大変の時期やったけどせっかく受験でがんばってきたからって、受験させたら合格しよってね(笑)
今は県営団地に住んでるけど、子供達(二人)が学校を卒業したら豪邸を建ててもらわな割に合わんわ!」
笑顔で話していたが、目の奥に光るものが・・・。

あれら16年・・・。

カミサン(=神さん)と結婚して11年、子供も二人いる。
・・・今度はカミサン(=神さん)の田舎・東北地方が震災に・・・。

あの時のように「大丈夫、日本人は逆行に強いから復興の日は近い!」・・・なんてお気楽には思えない・・・。
町の復興もままならないであろうが、被災者の心の傷が気になる。
心の傷は何も震災にあった現地の人ばかりではなく、震災にはあわなかった人たちにも多くのキズを残すのではなかろうか・・・。

まだまだ安否が確認されていない方々が大勢いる。
カミサン(=神さん)の田舎・歌津の叔父や叔母等、まだ連絡がついていない親族が多くいる。

阪神淡路大震災に続いて、今回は東北関東大震災・・・すっかりオッサンになった私、写真人・・・2度も震災で親族が被災なんて・・・。
”何か悪い事でもやったかなっ・・・”と自分を責めてしまう・・・やましい事だらけだから・・・

”天罰発言”をした”超党派・強気”の石原東京都知事も発言を撤回した(当初、撤回するつもりはないと言っていたが)・・・。

阪神淡路から16年・・・あの頃、若かった人たちも今ではすっかりオッサン、オバサンになっている。
当時は他人事のように考えたいた人々も今回は皆、真剣に受け止めているのではないかと思う・・・。