私、写真人が初めて日本で競馬雑誌の仕事を始めたのは
自由国民社から出版された「競馬主義」(=季刊誌・廃刊・・・涙)という雑誌からである。
当時は取材などというものはほとんどなく、勝手気ままに撮影した競馬の写真をただ出版社に持って行き、
雑誌に掲載されるというものであった。
当時は、 ミホノブルボンやナリタブライアン、ヒシアマゾン等が活躍していた時期でもあり、
サンデーサイレンスの初年度産駒が出始めた時期でもあった。
自由国民社から出版された「競馬主義」(=季刊誌・廃刊・・・涙)という雑誌からである。
当時は取材などというものはほとんどなく、勝手気ままに撮影した競馬の写真をただ出版社に持って行き、
雑誌に掲載されるというものであった。
当時は、 ミホノブルボンやナリタブライアン、ヒシアマゾン等が活躍していた時期でもあり、
サンデーサイレンスの初年度産駒が出始めた時期でもあった。
日本経済はバブルが崩壊し暗黙の時代へ・・・。
しかし、競馬メディアはバブルの真っ只中!今ほど、ネットが普及していなかったので
馬券必勝法、競馬関係者紹介、競走馬の特集記事・・・とりあえず何でも記事にすれば売れた時代。
しかし、競馬メディアはバブルの真っ只中!今ほど、ネットが普及していなかったので
馬券必勝法、競馬関係者紹介、競走馬の特集記事・・・とりあえず何でも記事にすれば売れた時代。
懐かしいなぁ~・・・。
でっ、トレセン取材。
当時はフリーランスでトレセンに出入りする人間はほとんどなく数えるほど。
トレセンで取材&撮影をしてもそれを記事にする媒体が少なかった。
JRAピーアールセンター発行の「優駿」くらい・・・。
トレセンで取材&撮影をしてもそれを記事にする媒体が少なかった。
JRAピーアールセンター発行の「優駿」くらい・・・。
私、写真人は「優駿」以外の雑誌から仕事をはじめたのだが(学生時代に2,3度”優駿フォトコンテスト”に
入賞したくらい・・・恥)、各社、こぞってトレセン取材に力を入れ始めた。
そこで当時は若くて今以上に図々しく、かつ、怖いもの知らずだった私、写真人、
出版社としては格好の”兵隊”である。利用価値十分だったのであろう。
入賞したくらい・・・恥)、各社、こぞってトレセン取材に力を入れ始めた。
そこで当時は若くて今以上に図々しく、かつ、怖いもの知らずだった私、写真人、
出版社としては格好の”兵隊”である。利用価値十分だったのであろう。
簡単なメモを一枚だけ渡されトレセンへ突撃。
あとはメモに書かれた馬や騎手、調教師等々を撮影&取材するのである。
あとはメモに書かれた馬や騎手、調教師等々を撮影&取材するのである。
世間知らずだった私、写真人(って今でも十分、世間知らずだが・・・)、完全アポなし取材。
当日の朝、厩舎に出向いて・・・
「あのぉ~○×○×を撮影&取材させて頂きますか!?」
何てやっていた。自己紹介もなしで・・・。
もちろん当事者は急な取材で面食らう・・・目が点・・・。
だが、取材票をぶら下げカメラを片手に持っていれば取材させてもらえるだろうと勝手に思い込んでいた。
当日の朝、厩舎に出向いて・・・
「あのぉ~○×○×を撮影&取材させて頂きますか!?」
何てやっていた。自己紹介もなしで・・・。
もちろん当事者は急な取材で面食らう・・・目が点・・・。
だが、取材票をぶら下げカメラを片手に持っていれば取材させてもらえるだろうと勝手に思い込んでいた。
若いなぁ~!
でも、そんなんでほとんど取材はOKだったのである・・・これがっ!
何と寛大だった当時のトレセン関係者。また、取材そのものが今ほど頻繁になかったので
どの関係者も気軽に応じてくれた・・・・
何と寛大だった当時のトレセン関係者。また、取材そのものが今ほど頻繁になかったので
どの関係者も気軽に応じてくれた・・・・
・・・一部を除いては・・・・。

写真は1996年の写真、サクラローレルである。境勝太郎厩舎の所属馬。
境勝太郎さん・・・それはそれは恐ろしい調教師・・・。
もう少し、学習能力があればよいのだが、”アスペルガー症候群”な私、写真人・・・まるで空気が読めない・・・。
「・・・あのぉ~・・・サクラ・・・ローレルの・・・写真・・・なんですけど・・・」
「はああああ~~サクラ何だっ!?オマエどこのモンだっ!写真て何だっ!写真が欲しいのかっ!?」
「・・・フリーのカメラマンでして・・・ローレルの”お写真”を撮影させて頂きたいのですが・・・」
「フリー・・・そんなモン聞いとらんぞっ!帰れ、帰れ・・・わしゃ~忙しいんじゃ(シッシッ」
「また出直して来ます」
・・・若かった私、写真人、境勝太郎さんに怒鳴られ、写真が撮れないとわかるや出版社からも怒鳴られる。
「写真、撮れなかった・・・。もう締め切りなんですよっ!し・め・き・り!!
撮れなかったじゃなくて撮ってきてくださいよ!!」
「・・・やだなぁ・・・また怒鳴られに行くのか・・・どうしよう・・・お腹痛いなぁ~・・・頭痛いなぁ・・・」
と、気分はすっかり”登校拒否”の小学生・・・。
でも、仕事は仕事。怒鳴られようがなじられようが写真は撮らねばならない。
さもないと、出版社から怒鳴られ”即クビ”になってしまう・・・これがフリーランスのつらいところ。
一度でもミスをすれば”ハイッ、サヨナラ!”の世界である・・・厩舎からも、出版社からも・・・。
でも、仕事は仕事。怒鳴られようがなじられようが写真は撮らねばならない。
さもないと、出版社から怒鳴られ”即クビ”になってしまう・・・これがフリーランスのつらいところ。
一度でもミスをすれば”ハイッ、サヨナラ!”の世界である・・・厩舎からも、出版社からも・・・。
意を決して境勝太郎厩舎へ・・・足取りは重い・・・。
「あの~先日お邪魔した、カメラマンなんですけどローレルのお写真を撮影させていただきたいのですが・・・」
対応してくださったのは勝太郎先生の奥様。
「あいにく調教師は出払っておりますのでまた後日、お越しくださいますか・・・」
「あの~先日お邪魔した、カメラマンなんですけどローレルのお写真を撮影させていただきたいのですが・・・」
対応してくださったのは勝太郎先生の奥様。
「あいにく調教師は出払っておりますのでまた後日、お越しくださいますか・・・」
ひぇ~である!
後日という事は3度足を運ぶという事だ・・・恐ろしい・・・怖いよぉ~・・・助けてぇ~・・・!
っと・・・
厩舎を出ると目の前をローレルが引き運動しているではないかっ!
どうせ怒られるんなら撮ってしまえ!
後で調教師に起こられうだろうが、出版社からは褒めらる。
恋愛同様、二人の人間を幸せにする事は出来ない・・・。
どうせ怒られるんなら撮ってしまえ!
後で調教師に起こられうだろうが、出版社からは褒めらる。
恋愛同様、二人の人間を幸せにする事は出来ない・・・。
馬を引いていたのは現調教師の小島太さんのご子息、小島良太さん・・・。
「今日はじっちゃん(=境勝太郎)いないから今なら撮影しても良いよ!」
引き運動の途中で馬を止め、撮影させていただいた。
「今日はじっちゃん(=境勝太郎)いないから今なら撮影しても良いよ!」
引き運動の途中で馬を止め、撮影させていただいた。
地獄の中の仏である・・・感謝、感謝・・・。
その日を機に境勝太郎厩舎、現小島太厩舎の取材&撮影は”番頭格”の小島良太さんにお願いする事にしていた・・・。
境勝太郎さん・・・怖いイメージしかないけど、本当は大変馬好きなやさしいお方・・・。
それを知っているから怒鳴られても何度でも厩舎に通っていたのである。
それを知っているから怒鳴られても何度でも厩舎に通っていたのである。
・・・怒鳴られるのはまだ良いほうで、水をかけられたり、竹ぼうきで追っ払われたり、
草カマで追いかけられたり・・・散々な目にあってきたのである。
草カマで追いかけられたり・・・散々な目にあってきたのである。
それもそのはず・・すべて”アポなし・突撃取材”だったからだ!

快く撮影させていただいても、
「まだ居たのかっ!とっとと帰れ!!」
なんて言われたりして・・・。
・・・公表するのが怖いけど・・・写真はジェニュインです・・・調教師はまだ現役です・・・(言っちゃったよ!!
(注意:もしろん私、写真人が尊敬し愛する調教師さんです・・・よいしょっと!!)
まぁ~その他にも数えればきりがないくらいトラブルはある。
もちろん、トラブルの原因は私、写真人にあるっ(=って、自慢しちゃ~マズイかっ・・・。
そんなこんなで10年以上トレセンに通ってきたので、少々の事は慣れっこに・・・。
人間、年をとると丸くなるというが、図々しさが増すのは私、写真人だけである。
・・・最近の若い調教師さんだと
「・・・また取材!?ブログで好き勝手な事書くんでしょ・・・カンベンしてよ・・・」
「ブログじゃ~ないですよ、雑誌ですよっ、雑誌!」
・・・でもブログにもいずれ登場してもらうからね・・・イヒヒヒヒッ・・・とは心の叫び!?
こういう対応にもすっかり慣れっこの私、写真人である。
「・・・また取材!?ブログで好き勝手な事書くんでしょ・・・カンベンしてよ・・・」
「ブログじゃ~ないですよ、雑誌ですよっ、雑誌!」
・・・でもブログにもいずれ登場してもらうからね・・・イヒヒヒヒッ・・・とは心の叫び!?
こういう対応にもすっかり慣れっこの私、写真人である。