岐阜県博物館(岐阜県) | そうべいのブログ

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この博物館に行ったのは8月11日の水曜日の午前中である。
静岡県沖で震度6の地震のあった日である。
岐阜で泊まったのだが、朝方岐阜も結構揺れた。
ホテルを出る前に関西の友人からメール。
「地震で東名高速がエライ事になってるで!」
パソコンで調べてみると静岡県内はほとんど通行止めになっていた。

・・・大丈夫だろうか・・・この後岐阜県博物館、豊橋市自然史博物館と行く予定なのだが・・・。

違う、違う、本来は自宅(=神奈川県)に帰る事を心配するだろっ、私、写真人・・・。

・・・まぁ~急いで帰ったところで大した用事がある訳でもなし・・・。
・・・子供達は夏休みだし・・・。
・・・自宅が潰れた訳でもないし・・・。
・・・命がなくなる訳でもないし・・・。

でも・・・静岡県の方々が気になる・・・大丈夫かしら・・・。

阪神大震災の日、前日ビワハヤヒデの引退式を京都競馬場で撮影して、
関西の友人達と遅くまで飲んでいた。そのため新幹線に乗り遅れ東京へ帰れなくなった。
泊まることも考えたがホテル代&翌日の新幹線代が馬鹿にならないので、寝台列車で帰ることに。
現在ではなくなってしまったが、当時は24時ごろに大阪駅を出発する”急行銀河”という
寝台急行があり、それで東京へ戻ることにした・・・。
愛知県を過ぎたあたりで”ガクンッ!”と列車に急ブレーキがかかり目が覚めた・・・。
何事かと思ったが、列車は30分遅れで東京駅に・・・。

・・・自宅に帰ってテレビを見てみると、どのチャンネルも住所と氏名を流していた・・・。
その数何千人・・・すべて行方不明者・・・大地震であった・・・。

あの日、梅田(=大阪駅)周辺のホテルに泊まっていたらと思うと・・・。



で、岐阜県博物館。
詳しくはこちら→http://www.museum.pref.gifu.jp/index.php

”百年公園”という大そうな名前の公園の中にある。
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交通の便はすこぶる悪く車でしか行けない。
岐阜にはその昔、路面電車が走っていたが現在は廃線。名古屋から伸びる名鉄も岐阜市内まで。
岐阜県民は電車を使う場合、名古屋方面にしか行かないのであろう・・・。
他の地域へはすべて車・・・というべき街作り・・・。
”トヨタ大国”愛知県のお隣の県・・・車社会なのである。

博物館の中へ・・・。
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平日とはいえ夏休み・・・でも、お客さんは少ない・・・。
地元の子供連れが少々・・・平日なのでおじぃちゃん、おばぁちゃんと一緒・・・。
アクセスの悪さもあり実にヒマな博物館であった。その分、ゆっくり見れて良いのだけど。

恐竜の化石はほとんどが複製。
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取るに足らない展示・・・。

だが、そこは美濃の国、織田信長、豊臣秀吉を輩出した県である。
恐竜の歴史より地元・美濃の歴史は大変興味深いものがある。
特にうちの子供が興味を示したのは関が原の戦いである。
戦の様子がゲーム盤のように再現されナレーションが入る。
・・・関が原の戦いそのものは大して興味がない様であるが・・・。

結構受けたのがコレッ!
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ジオラマである。和紙を作るところを再現している。
我が子たちはこのジオラマが大のお気に入りで、どこの博物館に行っても見入っている。
「きもぉ~~~い!!」
「なんじゃ~~~これぇ~~~!!」
「変なのぉ~~!!」
確かに結構笑える・・・。リアリティを追求するとギャグになる。
これはアートの基本(=ホンマかいなっ!!)
写真はリアリティのみしか表現しないので本来ギャグでなくてはならないと考える私、写真人!

で、私、写真人のお気に入りはこちら・・・。
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競馬か写真の事しか頭にない。

いやぁ~懐かしいカメラだなぁ~・・・。
上段に写っているハーフ版のカメラとポケット版のカメラは小学校の頃欲しかったカメラ。
下段の二眼レフカメラはヤシカマットの前身、ヤシカフレックスである。
美大に通っていた頃、カメラを買う金が無くて学校で貸し出していたヤシカマットで、
同級生のかわいいおねぇ~さんを撮影していた・・・”我が青春の一ページ”である。

などと思い出にふけっていると・・・”ゲーム盤”関が原の合戦を見終えた我が子・長男牡馬9歳。
「”こばやかわひであき”って悪いお侍だね!裏切り者だよね!!」
小学生に裏切るもの呼ばわりの小早川 秀秋・・・。
長男牡馬9歳の前では一生、”裏切り者”扱いの小早川 秀秋である。

私、写真人から見れば本来の裏切り者は徳川家康なのであるが・・・。
先に大阪城に連れて行っておけば良かったかっ!?