講談師として5年以上経過をしている。生まれ落ちるに至っては29年経過している。
結構な年数だ。もうそろそろ途中経過も含めて人生の点数が出ていると思う。
今のところ、俺トータル何点❓って聞きたくなる時がある。
ところがこれに対して、応えてくれる人はいない。そりゃそうだ、めんどくさい。
あまりにボロカスに言われても、お前に何が分かるとも思う。
かといってベンチャラは一切聞きたくない。くだらなく自尊心をくすぐられるのも嫌いだ。
そういえば昔「トメ」という新作を作った。
真夜中に爺さんが全然寝られなくて、婆さんをおこす。その際、爺さんが婆さんに
「俺、何点だ❓」
というセリフがある。それに対して婆さん
「ジジイ、それを聞きたくて真夜中に起こしたのかと」
あの爺さんはまんま私なのだ。
不安なのだ。俺は何点なんだと。
結論からいえば、まわりは知らねえよなのだ。お前に興味がないと。だけど、聞きたくなる。
その興味がないところで一つと言いたくなる。もっとも聞いたところで、その点数が高かろうが低かろうが気にいらないんだけど。
そもそもこんな事を聞く段階で、全くもって点数は低いのだ。
ローマ法皇は信者に「俺、何点❓」とは絶対聞かないだろう。もっとも、私だってリアルには聞かないが。
王貞治は868本もホームラン打ってるから絶対聞かない。例えではなく、文字通りホームラン打ってるから。
それは恐らくね、もう1年2年の単位ではなく、真打ちになるであろう8年後に、何点だったか確実に出るのだ。
この真打ちまでの約8年が一番大事なのは認識してる。
採点がシビアに出る。公に出来ない話も含めて、問われるなぁこの8年。
その割りに、しょうもないボンクラ高座が続く今日この頃。
とりあえず、真打ちの時までにいい感じに育ってくれよと思う。