東京の講談界は、講談協会と日本講談協会の二つにわかれている。
私は日本講談協会の方に所属している。
「日本講談協会の会員です。」と言うと、全く知らない人は、300人くらいはいるのだろうと勝手に推測してくれる。
「日本講談協会」と頭に日本がついているから、大きい感じがするのだろう。我々の狙い通りなのだ。大きく見せたいのである。
ところが実際の協会員は20名弱である。それで日本と図々しく名乗っている所が、可愛いいのである。
もっとも、二代目山陽一門の組織なので、一門レベルで考えると多いと言えなくもない。
かたやもう一方の、講談協会の会員は約40名である。我々のちょうど倍の数がいる。
だから東京に講談師は60名しかいない。凄い数である。どんだけいないのだと思う。
しかしこれでも増えた方で、昭和43年には「講釈師ただいま24人」という本を貞鳳先生が書いている。この24人は東京大阪合わせてだから、凄い事だ。
この時、大阪は南陵先生ただ1人。レッドゾーンアニマルすぎるだろう。
今、大阪は20名ほどの講談師がいるから、東京大阪合わせて約80人。一時期よりは増えたという。
講談界の現状を打破しようとした貞鳳先生は、やがて議員になり、色々あって講釈を廃業する。
あれだけ講釈を憂いた人が色々な事があったにせよ、結果的に廃業とは。まだご存命であるだろに、何ともったいない。
貞鳳先生のテープを時々聴くが、現代的で明るくて面白い講釈師であった。
ちなみに「講釈師ただいま24人」の翌年、2人講釈師も亡くなり22人になった。南鶴先生と貞丈先生である。大打撃すぎる。
それから考えると、頑張っている方だ。
そういえばうちの師匠も交通事故で死にそうになってる。生きているのは、相当奇跡的な確率だと聞いた。20年以上前の話だが。
その時、師匠が無事だと聞いたある評論家は
「神は講釈界を見捨てなかった。」という言葉を残している。その評論家で唯一、心に残る言葉だった。
そんな事をふと考えながら、一門会へ。
20分くらいかなと思ったら、持ち時間30分とのこと。
前日「狼退治」を稽古していたから、どうしてもやりたくなる。ところが前の人にやられると出来ないので、楽屋で狼の手つきや、最近「狼退治」にハマっててさぁなどを前座さんに話す。
「こいつ、狼退治をするのか。私にその話を避けろという事か」
を充分に認識させる。
作戦は成功し、1年半ぶりに「狼退治」をする。うーん、前より狼が可愛く出来た気がする。
その後、師匠楽屋に登場。
「勧進帳」の話になる。いつか教えますからと言われる。あの話がどんだけ難しいかを知っているので
「あー、あの話はちょっと・・・自信がないです」と言うと
「まぁ、嫌ならしょうがないけど」
楽屋に変な空気が。
( ̄◇ ̄;)
阿久鯉姉さんが5人いれば、日本講談協会も安泰であったろうに。