何かもう、1月19日なんだと額然とする。もう新年明けてからそんなにたったんだと。早いものだ。今年も音速で色々な事が終わっていくのであろう。
そういえばもう29である。今年の6月には30だ。
単純に記憶力がおちるのが嫌なので、ネタをすっーと覚えられるのが40くらいまでだとすると、あと10年しかないことに愕然。記憶力との戦いだ。上手いも下手も、覚えなければ話しにならない。
師匠がよく言う、義士伝だけで全部合わせて300席くらいあるという。めまいがする。
この前亡くなった伯龍先生は、談志師匠との対談で。
「ネタはどのくらい持ってんですか❓」
「うーん、3000くらい」
「講釈師見てきたような嘘をつきというけど、目の前でやられるとはねぇ」
と言っていた。計算すれば分かる。芸歴の日数から3000で割ったら、1席覚えるのにありえない数字が出て、すぐに嘘だと分かる。
ただ、伯龍先生までは、そういう講釈師伝説を背負っていた気がする。講釈師の記憶力は異常という。
力道山が氷点下何度の所で半袖で写っている写真が残ってた。レスラーはどんなに寒い所でも超人だから大丈夫というポーズなんだけど、こういうイメージがそのまま通った時代。
今のレスラーが同じ事をやっても滑稽なだけだ。
そういう良くも悪くも神話的なのを背負い、またはそれにすがり、ひょっとしたらと思わせる感じの力。
現代の講釈師が俺はネタが3000あると言っても、そこに説得力はなく嘘と分かる。
そういう嘘も含めた説得力は講談をやるうえで、非常に重要な気がする。落語家より、ハッタリが大事だ。幻想といいかえてもいいけど。伯龍先生が12歳から講釈師、満20歳最年少真打。何という幻想。
そんな事はどうでもいいや、今日は松露寄席。宮治兄さんとの二人会。
素敵な会場である。スタッフの方も大変親切。楽屋は薄暗くてムーディー。
宮治「棒鱈」
松之丞「甕割試合」
前回、兄さんがトリだったので今回私が。
兄さんがまくらで会場をあたためる。人を笑わせる機関銃のようだ。
私もまくらを考えようとするが、もー、びっくりするくらい一切思い浮かばない。
とりあえず楽屋にどら焼きがあったので、1個食べたら良いアイディアが出ると思って食べる。
このどら焼き美味いなぁという感想しか出ず。
もう一個食べたらきっと面白い事を考えられるに違いないと、迷わずパクついたら、高座前でひたすら胸がもたれるだけという。バッドコンディションのノーアイディアで高座に。
宮治兄さんのおかげで、人々が箸を転がしても、笑って頂ける状態に。何というNHK男。
「甕割試合」でお客様のご機嫌を伺う。
明日は広小路亭で一門会。