(某アニメの舞台「学園都市な立川」)
やっと休みの日曜日、模型の記事を書こう・・・と思っていたものの、疲れが酷くてそれどころではありません(この後スタンプラリー出るし)。
そのため、以前「準備して眠気で投稿出来なかった記事」を持ってくることにしました。
こちらは、1月9日に急遽「青春18きっぷ最終日」に行った、「D51に会いに行く(東京限定)」という、訳のわからない話です。
その第一回目は、「子供の頃一番身近だった蒸気機関車」でして、ガラスやライトも割られて悲惨な姿の記憶があった「D51 451号機」だったんですけど、昨年寄付金でキレイになったみたいなので、行きたくなりました。
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※一部内容が被っていますが、ご了承下さい。
まずは某アニメの「学園都市の舞台」になった、立川駅で下車。
昨年の11月で閉めるときいていた、「キョーサン」ですが、閉店セールという形でまだやってまして、少量ながらAssyパーツ群を購入してきました。
その後、某アニメの「ラッピング自販機」にて、飲み物を購入。
アニメ上で架空のはずだった「ヤシの実(パイン)サイダー」ですが、立川では手に入ります。
これがまた癖のある味で、期間が空くと飲みたくなるんですよ。
そんなわけで2本購入、しかし寒かったので飲まずに持ち帰るという・・・。
その自販機の中に何やら怪しい「BOSS」が・・・。
まてい、BOSSは最初っから青い缶じゃないか!
じつはこの配色、その前にあった「ウエスト」の物だと思われます。
そういや当時プロレス好きの友達が、ウエストからボスに代わった時嘆いていたような・・・。
※話が通じた方、「昭和のおじさん・おばさん認定」です。
話が脱線しました。
それでは本題に入ります。
訪れたのは青梅線の「東中神駅」で、高架駅舎化になって近代的になっています。
でも中は、「昭和の香り」を残してくれてますね。
柱は撤去しちゃったみたいですけど、この椅子と壁は懐かしいままです。
※「1980年」頃のままです。
しかし外の建物は・・・子供の頃から、どこも建て替えてないな。
たしか昭和40年頃(1965年)の建築だったかな?
ここから5分ぐらい歩くと「昭和公園」(こっちが古い)があります。
逆側の「昭和記念公園(1980年頃開園)」では無いので注意。
ちなみに向かいは(変わってなければ)「昭和高校」で、確か昭和が付く地区だったような。
少し歩くと見えてきました。
うぁ、ホントにキレイになってる。
しかし柵の中なのか、撮影出来んぞ。
あ、入れるわ。
紹介看板は以前のままですね。
昭和45年(1970年)に設置したんだ。
私の生まれる1年前か・・・。はっ、歳バラしてしまったorz
今回の寄付・・・というか、最近はやりの「クラウド・ファンディング」と言う奴で、寄付金で蘇ったようです。
ホントにピカピカになってるわ!
●D51 451号機(最終:新鶴見機関区)
子供の頃小学校低学年の社会科見学(遠足)と言う形で、ここで弁当を食べたのが始まり。
ただし、かなりのボロボロだったので、当時は興味はありませんでした。
しかし、初めて見た蒸気機関車でもあり、実家から自転車で15分でこれる場所でも会った関係で、これが私の一番身近で「蒸気機関車」のイメージに、強く残っているのは確かです。
これが生きている内にピカピカになるとは、思いもしませんでしたね。
ライト割れてましたから、新品入れたんですかね。
疑問だった副灯の部分、台座はあるようですが、子供の頃にはライト自体すでに無かったのは覚えています。
逆側もピカピカですね。
そしてこの信号機、覚えてますよ。
ただの三灯式では無く、レンズ構造が違う初期タイプなんですよ。
逆になぜか、夢に出てくるほど怖いイメージだったのを覚えていますけど、なんでかな?
子供の頃の視線は、妙に細かい所を覚えていますよね。
103系より201系の方が、方向幕の高低部分が狭く細長く感じたとか、103系の初期車は貫通扉手前の足下スロープが木だったとか、大人になったらわからんようなことも多かった。
いや、これシローとの塗装レベルじゃ無くて、本格的に塗り直したでしょう。
補修のレベルが高いぞ。
あ、そうか「大宮工場(JR)」が補修に絡んでいるから、レベル高いのか・・・。
もしかして、復活させる可能性が有る「静態保存機」なのかな?
「ATS-S」付いてるんだ、現地で気がつきました。
炭水車の下に、確かに付いてますね。
残念ながら、後ろのライトは無いようですね。
子供の頃の記憶だと、割れた物が有ったと思います。
あら、椅子も張り替えてる・・・、本格的に金かけて修理している。
クラウドファンディングって、じつは修理レベルの向上という意味では、必須なのかもしれません。
操作レバーは無いですけどね。
これホントに子供の頃見た機関車なのか?
天井の塗装も、古い塗装を削って塗り替えてますね。
一つだけ当時のまま・・・というか、部品が無かったんでしょうね。
丸窓が、良い味出してますね。
炭水車部分ですが、だれだ石を投げ込んだのは・・・。
そうか、上部カバー無いタイプだったか。
これが私の指・・・それはいらない。
カマの投入口も開かないけど、細部までキレイに塗られていますね。
前方はこんな感じに見えていたようです。
この信号機の設置、こだわって配置したのがわかりますね。
デジタルカメラの高性能化も関係してきていますけど、ここまでキレイな状態で記録出来るとは、思っていませんでした。
これだけでも出かけた甲斐は有りましたね。
凄くマイナーな、昭島市立昭和公園内の「451号機」ですけど、出かけてみるものですね。
帰り道の途中。
1月なのに梅が咲いてますね。
たぶん、青梅の梅「吉野梅林」だと思いますが、10年ぐらい前に梅の伝染病で、すべて伐採して植林し直してましたから、それの生き残りになるのかな?
そろそろ開花の季節なんで、そっちも行きたいなぁ・・・。
と言うことで、今日はサブブログに書く内容を、本ブログに持って来ちゃいました。
今は他のブログまで手が回らないので、とりあえずこちらに書いときました。
模型の記事書きたいけど、体が付いてこないため仕方ないですね。
以上、「D51に会いに行く1回目」でした。