映画『ほんとうのうた 〜朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って〜』 | かんちくログ

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1発屋どころか、まだ1発も打ち上がってませんが。勝負は、これから。

立誠シネマで『ほんとうのうた ~朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って~』を見てきました。



朗読劇というところに反応して、いったい誰がやっているのかと思ったら、小説家の古川日出男さんだった。東北大震災のあと何かできる事がないかと苦しんで、東北出身の宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」を福島出身の古川さんが朗読劇にし、翻訳家の柴田元幸さんと、ミュージシャンの小島ケイタニーラブさんと詩人の管啓次郎さんの4人で公演をしていくドキュメンタリー。

彼らの熱量がすごい。少しも気取っていない。きちゃないおっちゃんたちが(小島さんは美しいお兄さんだけど)、少年みたいな表情で、観客がついてこれるのか心配になるような尖った表現で、東北で魂をぶつけていく。

演劇人でもあった小説家と詩人と音楽家と翻訳家。音楽家はともかく、本来机に向かって一人で言葉をつむいでいるはずの小説家と詩人と翻訳家が人前に出て声を発している姿は、ただただ美しかった。彼らは、小説家や詩人や翻訳家以外の何物でもなかった。古川さんはしゃべっている人物そのものになっていたし(小説を書いているときはあんなふうになってると思う)、詩人のつむぐ言葉は世界をびりびりと震わせた(ストーリーもメロディもなくても世界を作ってしまう詩人の言葉にわたしは嫉妬した)。そして柴田さんは、舞台の上でも翻訳者だった。一番役者っぽかった。異物感がない。物語にとけこんで本当にその物語からひょっこり顔を出したような、不思議な存在だった。
そして小島さんは音で世界を作っていった。広がりを。異空間を。音をあやつっている小島さんそのものの存在感は消えて、音が生々しく、存在していた。

この映画では劇そのものは断片ずつしか見ることができないけれど、彼らがやろうとしていることは伝わった。映画を見てよかったと思った。でも朗読劇も見たかった。大阪にも京都にも来てたんだ、と、この映画を見て知った。悔しい。残念。



小説と朗読。小説は求める人、自分の手を使ってめくってれる人にしか言葉を届けることができない。小説を読みたいという気持ちにならないときが世の中にはたくさんある。それでも言葉が必要なときがある。

「銀河鉄道の夜」の読んだことがあるはずの言葉が、震災や津波のあとの東北で彼らによって読まれることで新しいものとして体の中に入ってきた。今までとは違う入り方をした。賢治を初めて読んだという気がした。

あの日、わたしも何かをしなければと決意したことを思い出して、何かをしている人たちを見て、動けないままでいる自分を恥じた。立誠シネマの予告編では神戸の震災特集の映画も流れていた。震災について、降りかかる不条理について、つらい境遇にある人について、悲しみの中にいる人について、真剣に考える事を忘れない、と映画を見ながら自分に誓った。真剣に考えたら何か行動を起こしたくなるだろうから。

古川日出男という小説家との出会いは、「アビシニアン」という本だった。8年前の、人の本に文句ばかりつけていた当時のわたしが、星10個の最高点をつけている。以来、何冊か読んだ。当たり外れはあるけれども当たったときは悶絶するくらい、よい。

27才のわたしの「アビシニアン」古川日出男・著の感想。
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 翻訳文のようなきっちりとした、それでいて軽やかに飛躍する、壮大な詩のような強い言葉。五感を刺激する強い情景。見たことのない世界。少しセンチメンタルなストーリー。こんな要素が揃った本に、すごく共感してしまうようです。今までにこの種の衝撃を覚えたのは、ボリス=ヴィアンの「日々の泡」とミラン=クンデラの「存在の耐えられない軽さ」。あと村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」です。まあ、好き嫌いがはっきりするタイプの本だと思うけど。わたしはめちゃ好きですよ、これ。

 どうしてこう400枚も緊張感が持たせられるのかね。出てきたイメージや言葉をどうしてこう消化できるのかね。無駄な言葉がないよ。一文一文、ずきずきする。ゆっくりと読んだ。小説でしかできないことをやっていた。
 ああうう!くやしい。と言うのも恐れ多いんだけども。

 今までの生活から飛び出して、野生として生きていくことを決めた少女。少女は、かつて親に捨てられた飼い猫、アビシニアンと再会し、アビシニアンと共に森の中でひっそりと力強く生きていく。再生した彼女は文字を失う。文字という枠に言葉を閉じ込める必要がなくなったからだ。世界は変わる。有機的に、もっと感覚的に。
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今読んだらどう思うのかな。古川さんが34才のときの作品。わたしと同年代だ、なんて打ちのめされるかな。もっと面白がれるかな。

そのあと、古川さんが朗読をしていることを知った。小説家が朗読するなんて、どうせ、すましちゃって、きれいに読んでるだけでしょう、って思って、何かでちらりと動画を見たら、まるで吠えるように読んでいたのでびっくりした。むきだしだった。

そのときのわたしは、将来自分が朗読公演をするなんて思いもしなかったけれど。

動いて喋る柴田さんを見れたのもよかった。アメリカ文学は柴田さんの訳で読んだ。(※サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」もそうかと思ったら違った。野崎さんだった。でも「ナイン・ストーリーズ」は柴田さんだった)。

村上春樹と対談しているこれが面白い…と本おや店主さんに薦められてまだ読んでない。読まねば。




なんやかんやで、今のわたしにピタッと来た映画でした。

最近ね、映画も小説も、とても個人的なものなんだと思うようになった。もちろん書評家とか編集者とか批評家とかは、点数をつけるかもしれない。仕事だから。だけど、客は、自分に合うか合わないか、それだけなんだと思う。人と人の関係と同じだ。完璧な人物でも合わない人はいるし好きになれない人もいる。

肌が合う。そんな感じでしか語れない気がする。だから本当に映画や小説が好きな人のお勧めの言葉はとても控えめだ。いいとこだけじゃなく、悪いところもちゃんと言って、自分には合ったけれどどうかな?と差し出してくれる。

ある人のお薦めに乗ってみて、それが面白ければ、またその人が薦める作品は面白い可能性が高い。とてもラッキーだ。(翻訳家というのは海外の文学を日本に紹介する薦め役だ。)

作る人もいる。薦める人もいる。見る人もいる。役割は違うけれど、違うからこそ、同じひとつの、新しいよいものを、一緒に見れたらいいな。

『ほんとうのうた ~朗読劇「銀河鉄道の夜」を追って~』は立誠シネマで年内は28日まで、年明けは1月10~16日上映です。このレビューを見て肌に合いそうだと思ったら、どうぞ。