ひざに猫のせてる場合ではない | かんちくログ

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1発屋どころか、まだ1発も打ち上がってませんが。勝負は、これから。

 明日の朝までに仕上げねばならぬ大量の答案があるんだけども、今日はずっと書きあぐねていた脚本が進んで、あと一歩のところまでいっているので、そのことばかり考えてしまう。まあでも、締切がきたときにできてないわけにはいかないので、きっと死に物狂いでやるんだろう。

 もし今生活に困らないだけのお金が手に入ったら何をして何をやめるか、ということを考えると、本当に自分のやりたいことが見えてくる。塾仕事はやめちゃうんだろうな。人の文章を添削するのはわたし自身、勉強になるし、意義深いことだけれど、受験じゃなく、ほかのジャンルでやってみたいかもしれない。例えば今回の文章講座のような感じで。

 翻訳チェッカーもやめちゃうだろうな。英語の勉強もできて自分の文章力も生かせるから一石二鳥だと思ってはいたけれど、お金に困らなければ、自分の好きな文章を訳すか、お金払って誰かにちゃんと英語を習いたいな。

 そうして、わたしは小説を書くのに専念したい…のかと思いきや、出てきたのは、思う存分、わたし流の朗読劇を追求してみたいってことだった。予算とか気にせず。したいことして。最初の公演は赤字かもしれないけれど、スポンサーがつくまでやる。ひたすらやる。そして最終的にはいろんなジャンルの表現者を巻きこんで、その人たちがちゃんと自分の仕事になるようなものにして…。

 文章講座ももっとやってみたいな。文章を書く楽しさをたくさんの人と共有したい。

 うーむ。どうやらやっぱりわたしは、ひとりで自分の小説道を追求したいというよりは、文章を書く楽しさ、小説の面白さを人に広めたい、という方向性なんだなあ。ぬぬ。とっても不本意。文学者のほうがかっこいいのに…。

 こういうのは「性」というやつだからしょうがないですねえ。いや、洒落じゃなく。



高瀬川の桜にさくらんぼがなっていた。すっぱかった。食べたんかい。ええ、食べましたとも!研究者の性で!嘘です。いやしいからです。あまりに可愛くておいしそうだったんだもの。でも盗み食いというリスクを犯してまで食べるほどではなかった。

北海道旅行のときに行ったさくらんぼ狩り、楽しかったな。緑の葉っぱからちらっとのぞいてるさくらんぼを見つけるとときめくのです。いろんな種類の木があって食べ比べたりできるし、リンゴ狩りやミカン狩りと違って、すぐにはおなかいっぱいにならないし。何より見つける楽しさがある。そして自分で選んださくらんぼはいっそうおいしいのです。

まあ、何にせよ、盗み食いはいかん。こういうこと告白したら、反社会的だって叩かれちゃうだろうか。先にあやまっとこ。ごめんなさい。一個だけしか食べてません。