嫁に告白(白状)しました。

自分の障害のこと。


障害を隠して結婚したわけではありません。

当時と今で違う、つまり時代と認識が違うという話です。



健常者とされてた部分に障害という名を踏み込ませて、出来ない、上手くいかない部分に病名を付けたのです。



妻が持病を患ったとき、家族全員が苦しみました。



自分1人で受け止めきれず、そのしわ寄せが子供たちにもいってしまいました。



そのしわ寄せを長女が受け止めきれず、長女が病気になる寸前までいきました。



その時に何科にいけば分からず、取り敢えず専門医を紹介してもらうために行った小児科で「発達障害」の話をされました。



発達か?と質問されたので、

違いますと答えると、



それは間違いだよ。

ほとんどの人間は大なり小なり発達障害の部分(側面)があるということを言われました。



質問がおかしいだろ?と思いましたが、そこはスルーしました。



その時に知った、現代病。

発達障害の蔓延。



そこからです。

自分自身も疑い出したこと。

それまでは疑いすらしなかった。



私は、人より言語を認識することができない。

人の話を聞けない。

めっちゃ意識しないと「馬の耳に念仏」状態になる。

普通の会話であれば問題はないですが、「知らないこと、習ったことのない事象」については、ただ雑音が流れてると同じようになる。

これをしてください!という説明についても。



なので、授業の時めっちゃ集中してないと、さっぱり分からなくなる。

あと、順序だてて理解しないと、理解できなくなる。

ひとつ躓くとそこを解決するために神経を集中させてしまうので、授業をよくとめて、説明を求めてました。



学校説明会なども、話し手が下手くそだと「聞こう!」という意識が皆無となり、他のことに意識がいったり、自身の生活のことに頭がいき、いつの間にか時間が進み、大事なことまで聞き漏らしていたなんてこともざらにあります。



あと、よく物を失くします。

本当に物の管理ができない。

これは大事だから、ここに置こう!

と意識したとしてもその記憶を無くします。



記憶することが苦手。

意味の無い羅列など、単純な記憶というものが苦手。

なので、歴史や化学は心底苦手でした。





私が告白するキッカケとなったのは、YouTubeの「大人の教養」でその話題に触れていたからです。



自分にも似通った部分があり、きっとそうなんだと確信しました。



自分の状況は、配信者の人とまた違うので、当てはまらないですが、

その対処法としては、自分の行動を病名の人の行動に寄せるというものでした。

苦手なことは敢えて向き合わない。

社会通念上の普通に染まらずに生活する(行動を寄せる)ことで、生きやすくなる=ストレスフリーとなる。



これは目からウロコでした。

加えて「自分の当たり前」と「その人たちの当たり前(見えてる物事)」が違うこと。

もちろん、感じ方も考え方も。



なので、自分自身も「こういう病気」なのだと、

受け入れてもらおうと思い、今回告白しました。



結果は「(多分)変わらなかった」=「理解されなかった」と思うキョロキョロ



病気持ちだから嫌になる…  とかではなく、

きっとそうなんだと知っても、じゃあそこは私が負担するよとか、メモ用意して、置き場を記していこうとか、しょうがないね…



ではなく「そうなんだ」



きっと、何も変わらない真顔真顔真顔



言わずにいるより、言った方が良かったとは思うが、これはこれでしんどい。