「おふでさき」の世界 | 太田湾守−Irie Ohta−のブログ

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天理教教祖中山みきの「おふでさき」は、抑揚から短歌的な世界になっている。逆な言い方をすると、ある種の抑揚を身体の外に声音として放たないで内語に化して口のなかでぶつぶつとあらわすと、ひとつの内的な抑揚になる。この内的な抑揚は音数律からいえば五・七・五・七・七に共通した抑揚といってよい。中山みきの「おふでさき」とよばれている天理教の原典がこの抑揚に固執してやまないことは、つぎのような音読みに固執した歌がたくさんあることからわかる。


 日本(にほん)見よ小さい様(よふ)に思(をも)たれど 根(ね)が現(あらは)れば恐(をそ)れいるぞや

(「おふでさき」第三号)



短歌的な音数の抑揚に固執しなければ、意味のうえで「思(をも)たれど」は「思(をも)〔ふ〕たれど」という六音数になり、「現(あらは)れば」は「現れ〔れ〕ば」という六音数になるはずだが、いずれのばあいも音数の余りは避けようとされている。わたしたちがこの「おふでさき」を読めば、どうしても短歌的な抑揚のリズムをこわすわけにいかなかったとおもえる。こわせばこの教祖の御託宣はさして意味を持たない内容の戯言に類するものとなってしまうからだ。別の言い方をすれば、この短歌的な抑揚のリズムが固執されていることが、中山みきを教祖とする天理教を新興の神道的な宗教にしている根本だといってよい。

わたしたちが「おふでさき」から盛られた意味だけで天理教の教義を推測しようとすると、つぎのようになる。

人間には人間とはこういうものだという根元があり、その根元が生誕した地上の場所がある。その場所は大和国庄屋敷村の中山みきがはげしく神に憑かれた中山家の屋敷内にはじまる。そこは人間が人間である根本的な根がおかれた場所だ。これの場所に甘露台という斎場をもうけ、ここを根本の地とする。この地で人間は埃(ほこり)を掃除して心を潔(きよ)め、元のほんらいの人間にかえることによって、現実のこの世を安楽な楽土として快適に暮らすことができるようになる。この汚れた世間を楽土とし、陽気な暮しをするために、この甘露台にやってきて、人間が人間である元に目覚めるために、埃を掃除する手踊りや音曲を奏して、じぶんを潔めるようにすべきだ。そうすれば天理王神が助けて幸福な生活ができるようにしてくれる。人間が人間である元の根拠は何であるか、いままで言ってくれるものも、知っているものもいなかった。いまはじめて天理王の神(命)がそれを教えてくれ、人間をみな浄化して陽気暮しをすることを人間にすすめるために「急(せ)き込(こ)」んでおられるのだ。

「おふでさき」には、ざっとこんなことが繰返し託言されている。そしてこれ以上のことは何も言われていないようにおもえる。こんな単純で脱神秘的な託言が宗教の教義でありうるだろうか。

中山みきは大和国山辺郡の庄屋敷村の中山家の主婦で、夫、中山善兵衛の家は棉の仲買いを営む商売をやっている幕末期ごろの地主だった。ふところ手をした豪家の主人で、この一向に家業を顧みない夫にかわって一家をささえ、家事と農事に献身するほかない嫁が、中山みきだった。そして長男の足痛を治すため山伏の加持祈祷をやってもらっているとき、献身的で無智な農家地主の平凡な主婦中山みきは、神憑りにかかって、この中山家に人間の元になる地の集中した場があり、そこを祭り、そこで埃を掃除することで、誰でも元の人間になり、一切の病と不幸を癒すことができるという託宣をのべるようになった。それからじぶんは「神の社(やしろ)」だという自覚した宗教者として振舞うようになる。中山みきがかかげた「神」は「天理王神」とよばれることになった。天保九年のこととされる。

「おふでさき」には格別のことは何も言われていない。だが<埃を掃除せよ>とか<心を澄ませ>とか<陽気に振舞え>とかいうほかに何も言われていない。この中山みきの託宣に否定できない迫力を与えているのは、短歌的音数律に乗ったリズムとメロディの無限旋律だというほかないとおもえる。これは中山みきが繰返し使っている独特の語彙と交響して、いわば無形の拡大された意義を作り上げている。これにもう少し立ち入ってみる。


はじめに長男秀司の足の病気に関連していわれている御託宣を挙げてみる。


 これまでの残念なるは何の事 足のちんばが一の残念

 この足は病とゆうているけれど 病ではない神の立腹(りいふく)
 
 立腹は一寸〔ちょと〕の事ではないほどに 積もり重なり故の事なり
 
 立腹も何故(なにゆへ)なるどゆうならば 悪事が退かん故の事なり

 この悪事すきやか退(の)けた事ならば 足のちんばもすきやかとなる

(「おふでさき」第壱号)


長男秀司の足痛というのは病気だというけれど、ほんとは神の立腹のせいだ、その立腹はちょっとの原因ではなく、さまざまのよくない行いがつみ重なった結果だということになる。じつに平凡な無智な農家の主婦らしい託宣だが、ここから天理教教義がはじまっている。それは神憑りが促したといえる<平凡な農家のおかみさん>に宿った一種の抽象能力と、こればかりは誰もおよばないほどの信仰の確信があるばかりだった。薄情な言い方をすれば、文法もちゃんとは出来ていないが、そのことはむしろこの宗教歌の風格になっている。


 山坂や茨(いばら)ぐろふも崖道も 剣の中も通り抜けたら

 未だ見へる火の中もあり淵(ふち)中も それを越したら細い道あり

 細道をだんだん越せば大道(をふみち)や これが確かな本道(ほんみち)である

 この話他の事でわないほとに 神一条(ぢょ)でこれ我が事

 これからは心確(しいか)り入れかへよ 悪事払ふて若き女房(にょほふ)

 万代(よろづよ)の世界の事を見晴らして 心静めて思案してみよ

 世界には何事すると言(ゆ)うであろ 人の笑いを神が楽しむ

(「おふでさき」第壱号)


このおかみさんの憑依の抽象性は、息子秀司にたいするお説教や戒めでありながら、じぶんの神憑りの元になった天理王神への帰依のすすめになっている。たとえば最後の引例歌を例にとれば、「世界には何事すると言うであろ」というのは<世間は何をやっているんだと正気じゃないとおもうかもしれないが>という意味と<世間ではあの人たちは何事をしようとしているのかと袖をつつきあうだろう>という意味とを、途中で折衷したために、こんな表現になってしまった。あまりに話し言葉を書いて表現するのに慣れていないために、こんなことになってしまった。だがこの表現はわたしには嗤えない。文法的な無智がひとつの風格になっている。なぜそうなるかを信仰的にではなく叙述としていえば、文法の破れが言葉の意味の外部に、メロディとなって付着しているからだとみなすことができる。

これは中山みきの独特の慣用句に盛られた概念と交響しあって、いわばメロディの反復を形づくっている。たとえば「埃(ほこり)」を掃除するという独特の概念がしばしばあらわれる。


 何(なに)ゝても神の言(ゆ)う事確(しか)ときけ 屋敷の掃除(そふぢ)でけた事なら

 もふ見へる横目振る間ないほどに 夢見た様に埃(ほこり)散るぞや

 この埃すきやか払(はろ)た事ならば 後は万(よろづ)の助け一条(ぢょ)

(「おふでさき」第弐号)


こういう中山みきの慣用句のように、度々あらわれる埃を払う掃除という心のきよめをいう比喩は、出あうごとに主婦として半ば強迫観念のように家屋敷のたたみや廊下を、ごしごし拭き掃除したり、柱などを、半ば絶望的な気持ではたき込んでいた姿を思い浮べさせる。単純で幼稚な比喩だが、生活のつみ重なりが染みついていて、けっして口さきだけの綺麗事にならない教義を保証しているようにみえる。

神のいうことに叶うから心の埃を掃除して清らかにせよ。それができたら神はすべてについてその人を助けてくれることはきまっている。この埃を掃除するという概念はもう少しだけ深められる。


 世界中胸の内よりこの掃除 神が箒や確(しか)と見でいよ

 これからは神が表(をもて)い現れて 山いかゝりて掃除するぞや

 一列に神が掃除をするならば 心勇んで陽気尽(つく)めや

(「おふでさき」第三号)


埃を掃除するという概念が比喩として通じるなら、掃除する箒は神だということはしっかりと心にとめなさい。じぶんの心からだけでなく、世間に通用してゆくように心の掃除ということをかんがえてみるなら、高い上の方から神が掃除してくれることになる。そして神が世間のすべての人の心を掃除してくれると、心が生き生きとしてきて、幸せに包まれたようになり、世間はそのまま楽土になってしまうにちがいない。心の埃を掃除するという概念は、善行とみなしても、心の鍛練とみなしても成立つはずだ。だがこれが神への信仰から出るものだと見做(みな)すのは、どんな人にも皆あてはまり、どんな人にもすすめられるものだということだからだ。中山みきの神が生活人の発想をとらえたのは、こういう考え方が生活の具象性を離れないところからきているとおもう。