とにかく古庄駅まで急いで走った。心臓は悪かったが、若さがそれを上回っていたように思う。肩まで伸びた吉田拓郎気取りの長い髪が風に靡く。清水方面から新静岡センター行きの電車は、帰宅時の時間帯でもそれほど混雑していなかった。上は派手な茶系のアロハシャツに、下は当時流行のコッパンで、履物はなんとサンダル。まるでチンピラの服装だ。
「なんだ、その格好は…」と父に言われそうな気もしていたが、父も対して変わりはないと思っていた。駅に付くと急いで改札を駆け抜ける。往来する人影を左右巧みに避けながら、静岡駅へと向かった。途中、松坂屋に差し掛かった時、「よお、かんちゃん!」と上の方から声がする。会社の先輩たちが催事場作りのため、看板類を搬入してる最中だった。
私は笑顔で大きく手を振りながら、地下道へと降りて行った。駅前には国道一号線が走っており、向こう側に辿り着くには地下道が最も近道であった。帰宅途中の人波を掻き分けるように地上へと出る。時計は6時を少し回っていたが、辺は辛うじて陽射しが残っていた。
自販機の横で人の往来に視線を投げている父の姿は、迷う事なく直ぐに確認出来た。白のYシャツにグレーのズボン。そして足元はお決まりの雪駄。当然素足である。父は一年を通して雪駄しか履かない。それ以外の物を履いている所を見た事がなかった。腹巻をしてカンカン帽を被り、首からお守りの札をぶら下げれば映画の「寅さん」にそっくりだろう。刑務所帰りだから当然髪は短いが、渡哲也のようにいつもビシッと角刈りに決めていた。
父は普段、腹巻を殆どしなかったが、一度だけ晒(サラシ)を巻いている所を見た事があった。晒はドスなどの刃物で腹を刺された時に、内蔵が腹から飛び出すのを防ぐ為のものであり、ヤクザ同士の喧嘩の時などに自分の腹を守る役目もしていた。心臓病で藤枝の志太病院に入院中、こんな光景を目撃した事がある。
陽も暮れて外来も終わり人気の無くなった一階ロビーで、入院中に知り合った岡本君と二人でふざけながら遊んでいた。私と岡本君は小児科病棟の中でも悪戯っ子として有名で、病棟を二人で抜け出しては、「探検ごっこ」と称して、病院中を駈けずり回っていた。
「神戸くん、退院は決まった?」
「ううん…まだまだ、血沈がまだ良くないみたい」
「岡本くんの方はどう?」
「来週あたり退院出来そう」
「本当?良かったねー、あーでも岡本くんいなくなると淋しくなるなぁ…」
「遊びに来るからさぁ…」
そんな会話を二人でロビーの椅子に座って話している時だった。「ウウー、ウウー…」けたたましいサイレンの音がロビーの中まで響いて来る。それと同時に、数人の看護婦が慌ただしく病院の玄関口へと走って行った。
一台の救急車が病院の門前に止まり、一人の男が担架に乗せられて入って来る。真っ白な上下のステテコ姿のその男は顔を苦悶に歪めながら自分の腹を押さえていた。腹に巻かれた晒が真っ赤に染まっている。ドクドクと鮮血が滲み出しているのが分かる。おそらく、ヤクザ同士の喧嘩で腹を刺されたのだろう。
それは幼い子どもたちにとって余りにもショッキングな光景だったが、私は直ぐに父の顔が脳裏に浮かんだ。夜になると何も告げず出掛けて行く父を、不安そうに見詰めながら送り出す。「どうか無事で帰ってきますように」と心で呟きながら…。
晒を巻きながら、信夫が秋坊に向かって言った。
「ハジキは持って行くなよ…」
「はい、兄貴、分かりました」
秋坊とは、小林秋雄の事で、20代前半の若者であったが、身長が180㎝もある長身で、寺下勇次の次に喧嘩が強く、父の事を「兄貴、兄貴」と慕っていた。その秋雄の弟が処分に困り果てた末に父の所に持ち込んだのがコルト45だった。若干19歳の若者が一体何処で拳銃を入手したのだろう。
その銀色に光る拳銃は洋服箪笥の引き出しに閉まってあり、それを私は見つけてしまい、本物だとは知らず握ってしまったのである。小学生の手には重すぎるし、最初は玩具だと思っていたが、怖くなって直ぐに元の引き出しに戻した。
茶色のグリップの所に包帯がグルグルと何重にも巻かれてあり、それはおそらく滑り止めだったのではないだろうか。その拳銃が実際に使われたかどうか私は知らなかったが、いつの間にか家から消えていた。
(続く…)。
