世界中に衝撃が走った。「マイケル・ジャクソン死す」。
誰もがこの悲報に耳を疑っただろう。彼の死をまだ知らないでいる人も多くいるかも知れない。
ジョン・レノンが銃殺された時と同様のショッキングなニュースである。
先日、三沢光晴の訃報を記事にしたばかりだと言うのに、立て続けに起こったエンターティナーの死。
マイケルの死をヤフーのニュースで知った時、暫くの間何とも表現の出来ない虚脱感に襲われた。
彼の死について何を書こうか悩んでしまったほどである。
今更、マイケルの軌跡について書いたところで、殆んどの人たちはわたし以上に詳しいかも知れない。
現時点では彼の死因については不明であるが、時間とともに明らかになるだろう。
わたしがマイケルに出会ったのは14歳の時、養護学校在籍中で、長い闘病生活の真っ最中だった。
病気に拘束された入院生活での楽しみは漫画雑誌を読むか、音楽を聴くくらいのものだった。
洋楽にどっぷり浸かっていたわたしは、小さなトランジスタラジオから流れてくる、FENやビルボードヒットチャートを聴くのが唯一の娯楽だった。
音楽雑誌は「ミュージックライフ」を購読していた。
編集長が「星加ルミ子」の時代だから歴史を感じさせることだろう。
洋楽を聴くきっかけは小学2年に聴いた「ビートルズ」ツイストアンドシャウトに衝撃を受け、それ以来ラジオでオールジャパンポップス20を毎週聴いていた。
「みのもんた」がDJだったと記憶している。
洋楽ならジャンルを問わず、何でもよかった。
ベンチャーズからプレスリーまで幅広く聴いていたほどの音楽小僧であった。
家が貧しいからレコード盤など買える筈もないのだが、その頃近所に住んでいたわたしの兄さんと呼べる「順ちゃん」から多大な影響を受けている。
順ちゃんの家に行けば、喉から手が出るほどのレコード盤が豊富にあり、聴かせて貰うのが楽しみだった。
養護学校に入ると、生活費として現金が入る(看護婦が管理)ので、それでレコード盤を月に何枚か手に入れることが出来た。
ただし、わたしの生活費は親ではなく、福祉(国)からの補助だったため、金額は他の子どもたちと違い決められた額だったので、あまり使い過ぎると婦長が「これ以上は駄目」と釘を指した。
当時のシングル版は350円だったが、わたしの小遣いの殆んどは洋楽に消えて行った。
全米ヒットチャートの上位にある曲は全て手に入れた。
ただし、現在と違ってリアルタイムではないので、欲しい曲を手に入れるまではかなり時間がかかった。
「レッド・ツェッペリン」「CCR」「スリー・ドッグ・ナイト」「CSN&Y」「ELP」など、数え上げたらきりがない。
ロックの形が「ニューロック」と呼ばれ始めた時代でもある。
しかし、これらに大きな影響を与えたのが「R&B」その代表と言えば「モータウンサウンド」。
マイケルが所属し、リードヴォーカルを務めた「ジャクソン5」もまた多大な影響を受けている。
「スライ&ザ・ファミリーストーン」「マーヴィン・ゲイ」「ウィルソン・ピケット」「ジェームス・ブラウン」「スティーヴィー・ワンダー」「ダイアナ・ロス&スープリームス」などがその代表である。
幼いマイケルが歌った「ABC」は特に印象深い。
子どもながらに、そのソウルフルなボーカルとリズム感の良さは後のマイケルを予感させるものがあり、既に素地は出来上がっていたのである。
音楽以外でも何かと話題の尽きなかったマイケルではあったが、もう二度と魂の雄叫びと言われる彼の生の歌声と、その華麗なステップを見られないと思うと悲しくてやり切れない。
今夜はしみじみと、レコード盤に針を落としながら彼の歴史を振り返って見ようと思う。
