1973年夏、わたしは静岡市で唯一のレコード店「すみや」にいた。
目的は「井上陽水」のコンサートチケットを買うためだった。
当時の日本に於ける音楽シーンは「フォーク全盛」の時代であった。
大御所「吉田拓郎」を筆頭に「井上陽水」「泉谷しげる」などが目覚しい活躍をしていた。
この年に最も人気が高かったバンドがある。
「ガロ」代表曲は「学生街の喫茶店」。
この曲は街中の何処に行っても流れており、いつの間にか自分も口ずさんでいたほどである。
彼らはどちらかと言うとアイドルグループでもあった。
若い女性に人気があったし、複数のバンドやミュージシャンたちが出演するコンサートでは必ずとりをつとめていた。
彼らが現れると女性たちは一斉に金切り声を上げながらステージ近くまで押し寄せていた。
そんな風景を尻目に、わたしはさっさとコンサート会場を後にしたものである。
何故か「ガロ」は好きになれなかった。
井上陽水は拓郎、泉谷などとは少し遅れて人気が出たアーティストだった。
がなり声を張り上げて歌うメッセージソング「人間なんて」やブラックユーモアたっぷりの「黒いカバン」などと比べてみると、陽水の曲は情感たっぷりの叙情歌だった。
LP「ライブもどり道」がミリオンセラーを記録し、まさに陽水時代の幕開けだった。
この頃に「荒井由実(松任谷由実)」「五輪真弓」などがデビューした。中島みゆきに至っては更にその後となる。
フォーク全盛だっただけに、人気が高かったのは前者以外に多くのバンドやアーティストが群雄割拠していた。
もちろん「かぐや姫」の存在なくして70年代は語れない。
現在でも活躍しているチェリッシュは、デビュー当時のメンバーが5人であり、「なのにあなたは京都に行くの」がヒットし、わたしも好きだった。
この頃の歌謡界では、天地真理を筆頭に「麻丘めぐみ」「南沙織」「浅田美代子」「アグネス・チャン」などがアイドルと呼ばれ始めていた時代でもある。
日本のロック界に目を向けると、「シュガーベイブ」「はっぴぃえんど」「サディスティックミカバンド」「チューリップ」「甲斐バンド」などが代表するグループだろう。
ただし、彼らはフォーク・ロックに分類されていた。
「竹内まりや」は当時まだアマチュアで「センチメンタルシティロマンス」というバンドのバックコーラスを担当していた。
静岡では最も大きいとされていた会場は「駿府会館」で、ここで様々なライブコンサートを観てきた。
海援隊がノーギャラで登場し、「母に捧げるバラード」を熱唱していた時代でもあった。
忌野清志郎を語る時、わたしはどちらかと言うと「RCサクセション」の印象が強い。
井上陽水のステージが始まる前に彼らが前座として登場した時は非常に驚いたものである。
その時歌った「僕の好きな先生」がいまだに耳の奥で木霊しているほどだ。
RCと言えばやはり「古井戸」は欠かせないだろう。
大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを描いたの・・・わたしは今でもこの曲を自ら歌う。
仲井戸麗市が後にRCサクセションのメンバーに加わったのは誰もが知るところだ。
僕の好きな先生、忌野清志郎は今頃天国で煙草を吸いながら歌っているのだろうか。
合掌。
