その頃28歳の青年は、バンドの練習に明け暮れていた。 | プールサイドの人魚姫
1981年の秋、24歳だった私は現金3万5千円を持ち、東海道線の各駅停車に乗り品川区大井町に降り立った。ボロボロになった心がレールの上に汽車の軋みとなって木霊した。住む所もなく行き成り面接に行った印刷会社へそのまま就職。布団もなければ着る物もなく、東京の秋の夜風が冷たかった。そして1984年28歳の時アコースティックギターだけという至ってシンプルなバンドを組んだ。バンド名「センチメンタル・シティ・ボーイズ」もちろんこの名前はあの有名なロックグループ「センチメンタルシティロマンス」のパクリ。当時の流行はAOR、生ギターなどかっこ悪くて田舎者が弾く楽器のようだった。FMエアチェックもしており、欠かさず聴いていた番組はNHKのサウンドストリート。特に気に入っていたのは水曜日。担当甲斐よしひろ。甲斐バンドはもちろん好きで、初期の作品「バス通り・黒い夏」などアレンジして演っていた。6畳の木造アパートがスタジオ代わり。青春の想い出がぎっしり詰まったこの部屋で詩集天国の地図は完成した。喫茶店でライブをやる筈だったのだが、相棒が胃潰瘍を患い入院してしまったため解散。ゆずのようにもう一度組んでみたい。

