6.4.8(月)☁ 20℃
🌸が満開となりましたが、もわ〜んとした空模様が続いています。
やはり🌸は青空が宜しい。
先日、東国三社の一つを参拝して来ました。
息栖(いきす)神社…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/93/ad/j/o1080081015423135526.jpg?caw=800)
由来…↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/7e/e5/j/o1080081015423135529.jpg?caw=800)
武人の神「鹿島」「香取」の二社と関係が深く、「息栖神社」は古くから航海の安全を願うお社です。
「鹿島神宮」と「香取神宮」その昔は広大な「香取の海」の湾口に面した高台に鎮座してました。
お社の直ぐ下が海だった時代です。
「息栖神社」は湾口の中州に鎮座していましたが、今では陸続きとなり、標高1.4米の表示がありました。
当時は霞ケ浦の2倍ぐらいの「香取の海」が存在し、お江戸は姿さえ有りません。
利根川を東遷させたのは、遥か後となるお江戸の時代です。
陸路よりは船の方が大量輸送には効率的です。
西国への海路、東国の防備、更には蝦夷地への進出、内海の湾口は良港であり、位置的にも重要拠点だったのでしょう。
その当時の地勢は、武人の神「鹿島」と「香取」が湾口を挟さんで対となり、その中州に「息栖」と言う位置関係にあります。
不思議ですが、この三つのお社を結ぶと直角三角形になるそうです。
現在の地図↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/52/e7/j/o1080081015423135533.jpg?caw=800)
神々が鎮座した頃の霞ケ浦は、広大な内海であった「香取の海」の一部で、太平洋と繋がっていました。
時は流れ、気候や天災、気候の変化等により、何時しか広大な「香取の海」は徐々に狭くなって行きます。
その後、江戸の発展とともに、洪水から江戸を護るため、大利根が東遷されます。
一大土木事業です。
更に戦後、昭和の時代には、霞ケ浦の出口に逆水門が設置されて、大利根と繋がっていた霞ケ浦は淡水と化し、現代に至りました。
大利根の下流は今でも汽水域です。
あたくし、学者では無いので、詳しいことは分かりません。
以下は曖昧な内容です。
遠く大化の改新646年の頃、倭国が半島へ出兵し、百済だか新羅だかとの戦で苦戦して撤退し、お次は九州北部が唐の脅威に脅かされます。
任期3年の徴兵制が敷かれ、東国の兵達は三つのお社に祈願の後、船で北部九州沿岸を防護するため出陣しました。
鎌倉武士が大活躍をした「元寇」の遥か前の時代です。
諸国から徴兵された兵達は「防人」と呼ばれ、東国のこの地からの出陣は、「鹿島立ち」と呼ばれます。
内海から直ぐに太平洋、今で言う要衝の良港だったのでしょう。
しかし、防人が満期を迎えての帰還は、海路ではなく陸路だったそうです。
復員は徒歩…
道も橋も無きに等しい時代に凡そ千Kmの道程、東国へ無事に帰還するのは至難の業だったらしく、防人達は大変な時代です。
帰路は食も水も自給自足、究極のアウトドアでは無かっかと想像しています。
往路は船ですが、3年の満期が終わると東国まで歩いて帰れと、送る側は誠に勝手なものです。
戦乱の世は、昔も今も変わらないですね。
初めて参拝しましたが、大変に立派なお社です。
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東国三社の歴史を感じます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/56/28/j/o1080081015423135541.jpg?caw=800)
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/10/a4/j/o1080081015423135547.jpg?caw=800)
案内の通りに、一の⛩はかっての内海に面しています。↓
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/a4/2d/j/o1080081015423135552.jpg?caw=800)
「鹿島神宮」「香取神宮」も同じく、一の⛩は当時の海に面しています。
参拝後、一の⛩に行ってみました。
小さな⛩の下は井戸で、不思議なことに、創建当時から真水が湧いていたそうです。
海辺なのに…
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/ce/8a/j/o1080081015423135555.jpg?caw=800)
水は重要物資です。
その後、天下泰平のお江戸の時代になると、三社巡りの観光で賑わい、江戸への物資補給となった河岸の跡↓
現在、一の⛩は霞ケ浦の出口となる常陸利根川に面しています。
境内の碑文には…
「海原や沖つ潮合に立浪の鎮めがたきは心なりけり」
ふむ…何となく理解?
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/ae/3d/j/o1080081015423135566.jpg?caw=800)
悪い癖で妄想が始まります。
広大な海の湾口が・・・
見える👀
数年前に訪ねた「香取神宮」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/e0/87/j/o1080081015423135572.jpg?caw=800)
こちらは、武人の神です。
当時、朝廷から年に一度の勅使が来たのは、「お伊勢さん」と「鹿島」「香取」の三社だけだそうです。
その位置づけを考えると、当時の国の護りの重要拠点だった?
立派なお社です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/d6/6e/j/o1080081015423135576.jpg?caw=800)
⚓が奉納されています。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240408/13/kanbaku99/7e/1e/j/o1080081015423135580.jpg?caw=800)
3代目「かとり」
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同じく数年前に訪ねた「鹿島神宮」も武の神です。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240409/01/kanbaku99/60/2b/j/o1080081015423427349.jpg?caw=800)
東国三社巡り、一日で行ける距離ですが、「息栖」のお社は初めて参拝しました。
遠い昔、防人達が出陣の前に東国三社を参拝し、任期3年の九州防備へと旅立つ「鹿島立ち」…
遠洋航海に出る艦名には、よく合っています。
以前、晴海埠頭で三代目「かしま」の出港を見たことを思い出します。
「息栖」は語呂が合わないのか格付けが違うのか。
頭文字が「K」のお社です。
さて、🌸が満開となりました。