寒い朝ですが日中は暖かくなりそうです。
あれは◯◯年前…
3発のトライスタ~に搭乗すること2時間半、初めてこの地に立ちにました。
まだ右側通行の時代で、道路は米国統治下で整備されていました。
潮風に傷んだ錆びついた🚗が沢山走っていたのが、今でも目に焼きついています。
その頃の代表的な場所と言えば、南部の丘陵、再建された一つの門、青い海ぐらいでした。
時代はサイゴンが陥落し、長いベトナム戦も終盤となった頃です。
宿泊したコザでは、血気盛んな米兵が沢山いるから、夜は絶対に外出するなと釘をされました。
その後、平成の時代になってから、二回ほど訪れましたが、日本人より海外の観光客の方が多いなぁ~!
今では南部の戦跡を訪れる方も少なくなり、遠い場所となっておりました。
初めて島に行った時のこと、「ひめゆりの塔」へ行く道端で、⛱️のオバサンから一輪の花とともに、並べてあった一冊の写真集を買いました。
中には英文と日本語の表記があり、 悲惨な沖縄戦の写真の数々が…
「何だかなぁ~」とやるせない気持ちになったことを思い浮かべます。
特に陸上では、日米双方の間で逃げ場を失った住民は、否応なしに悲惨な戦闘に巻き込まれます。
この場に非戦闘員はありません。
動くものには容赦なく弾の雨が降り注ぎました。
世界の何処かで、今でも変わることなく続いています。
「鉄の暴風」とも形容された、米軍の凄まじい火力が襲いました。
後の無い日本軍の攻防も凄まじく、戦車への肉薄、一つの丘を巡って米兵も次々と倒れます。
海では制空権無き水上特攻
大和沈没す。呉にて↓
さて、コロリの待っているお江戸に到着です。
今日から名前ばかりのテレワ~クが始まりましたが、単に何人かやっているぞと言う形だけですわね。
全く意味がありませぬ。
上が阿保やからの名言です。
負け戦になるなぁ~!
今日も突撃でございます。