よこすか 観艦式その3 | 新・発動機とともに

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元.10.8 (火) ☁️ 28℃

🌀No-19がストライクゾ~ンに入りました。これはヤバそうです。

お国は相変わらず危機感を感じることもなく、報道も至ってのんびりです。
猛烈、猛烈と騒いでいるだけ・・・

勢力、コ~ス、大潮と役者が揃い、被害が出るのは目に見えています。

X日マイナス3、あたくしの独断専行で、本日、ここにヒジョ~事態を発します 。

トップの方々は、「国をあげての、この闘いに…」ぐらいは言っても良さそうなものですが、何とかなるべ~~ぐらいの感覚です。
我が身は自分で護りましょう。

さて、5日の土曜日の続きとなります。
何気ない甲板上…
外観は大きく見えますが、やはり艦内は狭さを実感します。フェリ~ではありません。

終わりの見えない灼熱の海、極寒の日本海、その他諸々の長期の任は大変なご苦労があると思います。
近くにコンビニなんぞは在りませんわね。
この狭い空間に24時間、交替で働く訳ですから、あたくしなんぞは三日と持たないでしょう。

短魚雷…↓
昔々の巨大な発射管と違って、至ってシンプルです。
酸素魚雷の実物には、その大きさに圧倒されましたが、その1/3ぐらいでしょうか。
古典的ですが、今でも恐るべし潜水艦キラ~でしょうね。

短艇のダビット…↓
短艇を降ろすのは、多分、その艦の練度が見える一つの場面でしょうか。

話しは変わりますが、昔から艦長の腕は接岸で解ると云われています。
大艦を一発で定位置に決めるのは、熟練の技です。

あれ~?行き過ぎた~では、様になりません。
あたくしも真似をして、車の車庫入れは一発を狙ってますが、若い頃と違って、最近はど~もピタリと決まりません。
必ず斜めに歪みます。なんで?
その内、前進後退を誤り、コンビニ突撃をする前にCubにしましょう。

不肖、あたくし、一度だけ超小型船の舵をとった経験があります。
勿論、横に居る船長さんの指示を仰ぎながらです。

先ず、真っ直ぐに航行することが出来ません。
風や潮、船の癖、色々あるのでしょうが右や左と常にヨタヨタ状態でした。

ブレ~キなんぞは当然ながら有りません。
あれれ~~~停まらねぇ~~わ!
行き足と言うのでしょうか・・・
船長様の後進一杯で事なきを得ます。

船長さんは⇒ニタニタしておりました。

湾内でしたが、反航船や横切る船は、知らぬ間に、あれよあれよと近づいて来ます。交差点の右直に似てます。

超小型でもこんな状態ですから、大艦となれば、これは大変なものでしょうねぇ~(+_+)

冷戦時代から続く、対潜用の「あすろっくランチャ~」↓
今や古くとも、一旦捕捉された潜水艦は逃げる術はないでしょうね。

戦後、米国の意を反映して、対潜戦に特化した日本の十八番です。

その先生は、米海軍では「31ノットバ~ク」と呼ばれた、かっては宿敵の米水雷戦隊を率いたバ~ク大佐でした。
31ノット、高速です。
命令があれば常に全速力での例えですね。燃料が持ちませんから…
そのバ~ク大佐殿、戦後は米海軍のトップに立ちます。

先の大戦では、日本の海上護衛は後回しとされ、多大な犠牲となりました。

大西洋での英独戦の教訓に学ぶでもなく、海上護衛の軽視は補給が断たれる事を意味します。
国力の限界と日本的な思考が強くあったと感じます。
地球儀を俯瞰すると、海の広さは一目瞭然です。

能書きが長くなりました。m(__)m

船にとって応急は最重要の一つかな。↓
外洋では、自力での対応しかなく、搭載品は普通の代物とは違いますからね。
物騒な物を積んでおります。

「いかづち」三層目の天守↓
狭いです。


今でもアナログは重要なんですね。↓



何気ない艦尾の旗に目が止まります。↓
Zの一旒は偶然ではないですよねぇ~

帰路の公園を通ります。
巨大な陸奥の主砲 ↓
当時の大艦巨砲は、今日に例えればICBMと同じ感覚です。
米国は終戦まで、日本以上に戦艦の建造を継続してました。
決して、日本だけが大艦巨砲ではありません。

そして、公園の片隅にひっそりとありました。
賑やかな会場と違って、訪れる方は疎らです。↓


沖島 ↓
巡洋艦の様な敷設艦は、ソロモン諸島ブカ島沖で沈没…

長門 ↓
ジイ様の時代、幼い子供でさえ名前を知っていました。
カルタ遊びで「く」と言えば…
「国の護りの陸奥、長門」です。


山城 ↓
一束の花が添えてあります。

あたくしがガキの頃のお話し…
「俺は山城に乗っていた。」と言うオッサンがおりました。

分厚い胸板と丸太の様な腕、がっちりとした身体が物語ってます。
「鬼の山城…」と云われ、新兵さんには心休まる日が無い、辛い日々であったことでしょう。

詳細は省きますが、比島スリガオ海峡で僚艦の扶桑とともに、壮絶な最後を遂げました。
凡そ1,500名の乗員中、生還者は僅か10名です。

あのオッサン、その前に異動か満期で退艦したのでしょう。
賽の目と同じ運ですね。

特徴ある艦橋は正に浮かべる城で、航行の姿は艨艟そのものです。
 
もしも・・・はありませんが…
山城、扶桑に30ノットの艦速があれば、縦横無尽だったかも知れません。

軍港の門前で栄えた通りは、今でも米国の雰囲気が残っております。
どぶ板

今度の予行と本行は、🌀のコ~ス上に入りました。

うねりと波高10米、風速40~60米、狂乱怒涛の実行は厳しいでしょうね。

次は3年後かな・・・
次回は、プラチナ券を頑張ってみるか。

あたくしも再びの荒天準備をします。

瞬間風速60米ね・・・(ノ-o-)ノ┫