金沢・中央通町④旧法船寺町≪法船寺の逸話≫ | 市民が見つける金沢再発見

金沢・中央通町④旧法船寺町≪法船寺の逸話≫

伝説・伝承

【中央通町】

寛永の大火(1631)は、今も金沢では「法船寺焼け」と云われています。寺が焼けたからなのでしょうが、火元でもないのに不名誉なことです。感染症の”スペイン風邪“は、最初にアメリカの兵士が発症したのに、”スペイン風邪“と云ったのと同じようなもので、スペインには迷惑な話です。この様に、感染症が流行ると”スペイン風邪“が出てくるのと同じで、大火があると約390年前のことなのに「法船寺」の名が出てきます。

 

 

(法船寺)

 

拙ブログ

3代藩主利常公の決断・・・辰巳用水➁

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11728810935.html

 

「金澤古蹟志」によると、「寛永8年(1631414日、巳の刻、法船寺門前の2軒の間に火をはさみ焼上がり・・・・」とあり、決して法船寺は火元ではなく被害者ですが、当時の住職は、火元と疑われ牢屋入りを命じられ、門前の者も吟味されたところ、お前がお前がと争いごとになり、2軒の家主も牢屋に入れられ、火付けであることがバレ、住職は罷免、門前の2人とも追放になり法船寺は、現在のところに寺屋敷を賜ったとあります。

 

(当時の住職権譽上人は、前師が妙慶寺に移り、その後の住職で、談義は北国第一の僧で、かねてよりお寺を再建しようとして、貯めていた材木もことごとく焼失しています。権譽上人は、しばらく小屋掛けで談義をするが、しばらくして諸旦那により大伽藍建立し、萬人講を立て、造営の不足を補ったという。)

 

(所縁の看板)

 

法船寺は、藩政期から地蔵信仰霊場巡りの一つで、そのお地蔵様山門の陰に置かれているますが、戦前は、お盆になると地蔵祭りが境内で盛大に行われていたそうです。戦後は地蔵祭りもなく、その後、法報会の会員等で新しいお地蔵様が境内に安置され、法報会の提唱により地蔵祭りが行なわれ、令和元年(2019)は8月の縁日に本堂で法要と各地蔵尊前でおつとめを行いましたが、昨年(2020)はコロナのことも有りましたので時期をずらし簡略化して法要のみを行ったそうです。

 

お地蔵様(地蔵菩薩)は、閻魔大王の化身で、老若男女、性別や世代を問わず幅広く、親しみと慈悲を持った仏様として、篤く信仰されていました。寺院(札所)御本尊や各堂宇の御本尊としてはもちろんのこと、巡拝路の途中にポツンとたたずむ石仏など、身近なところで手を合わせることが出来ました。昔のお地蔵様は、右手で施無畏印の印相を取る姿だったとされています。一般的にお地蔵様と言えば、右手に錫杖を持った姿で表されますが、これは鎌倉時代以降に固まった姿だとされています。錫杖を手に、自ら人々の元へと救済に来られると信じられたのです。)

 

(本堂前の新しいお地蔵さん)

 

金沢では藩政期から今も金澤四十八地蔵霊場や金澤二十八不動霊場・金澤二十五天神霊場・金沢三十三観音霊場 があります。法船寺は、金澤四十八地蔵霊場46番目の札所で、かって市民の信仰を集め、それぞれが連れ立って巡ったそうですが、今はパワースポットの寺院として徐々に信仰を集めています。

 

(最近では、霊場巡拝、順礼が盛んなのは、御朱印などを切っ掛けに寺社へ足を運ぶ機会が増えて、霊場単位で寺院や神社を訪れてみよう云う意識が高まり、進んだ寺社では、初心者の方に向けた内容となっているところもあり、霊場巡りは復活の兆しも窺えます。)

 

(門前の地蔵堂)

 

薬師講

薬師堂の中には「薬師如来像」が祀られているという。薬師講が盛んであったことがあり、そのお祭りの時は露天商も建ち並ぶ賑わいを見せていたという。薬師堂には「医王堂」の扁額が掛かっていますが、薬師瑠璃如来(医王は薬師如来の異称)医術の仏様ですので、お堂の名称は医王堂になっているそうです。

 

(薬師堂)

 

義猫塚

明治に書かれた「金澤古蹟志」には、「境内卵塔場に古墳あり。世人猫塚と呼べり。従前は古き石碑ありしかど、後破壊して、今は小さき石地蔵あるのみ。昔当寺において怪鼠を捕まえたる猫の古墳なりといい伝えたり。今その由縁より起りけん、近辺は勿論遠方よりも死猫を持来たり、この塚のあたりに埋むる事と成れり。彼の怪鼠を捕えたる年月日等石碑の記載ありしかど、碑石破壊し再興なきゆえにや、詳かならず。但し享保の頃なりといい伝えたり。と書かれているので、無いものと思っていまいたが、ネットを調べていて有ることが分かり、再度、調べてみると有りました。山門を入ると左側、一寸見、行き止まりのような通路を進むとL字型になっている道を、道なりに曲がると左側に無縁法界がやっと判読できる古いお墓があります。それが「義猫塚」で、右側面には消えかけの義猫塚と彫られていて辛うじて判読できました。

 

(義猫塚)

 

義猫塚伝説

享保年間に存誉上人が住職をしていた時、この法船寺に年老いた大鼠が住みつき、お経を唱えるごとに上をドカドカと走り、時々天井板を踏み外し、経本や仏具などを食い荒らします。

 

詳しくは

金沢市公式ホームページの金沢の民話と伝説法船寺のねずみたいじ」を参照ください。

 

つづく

 

参考文献:「金澤古蹟志巻21」森田柿園著 金沢文化協会 昭和8年発行 金沢市公式HP 「金沢の民話と伝説」など