加賀藩の大名行列⑪お供の藩士は借金地獄!? | 市民が見つける金沢再発見

加賀藩の大名行列⑪お供の藩士は借金地獄!?

【金沢→江戸】

江戸後期の加賀藩士にとって、特に参勤交代や江戸在勤では経済的に追い込まれていました。磯田道史著「武士の家計簿」でも明らかなように、微禄の藩士に限らず、有能で中堅クラスの藩士にも及び、江戸詰と国許との二重生活参勤交代借金?が嵩み悲惨の極みであったと伝えられています。今回は、知行高250で身分は定番頭並の地位で「御近習御用役(役料300石)」に付いていた高田善左衛門の例に調べてみます。

 

御近習御用役:藩主の側に仕え、時には藩主の相談役にもなり加賀藩の今で云う官房長的な役割で、加賀藩では配下40人ほどの足軽・小者を従える。定(城)番頭並:定番頭の準じた待遇を受け、高田善左衛門役料も知行高より多い300も付いています。)

 

 

 

拙ブロブ

算用者猪山家《金沢》武士の家計簿より

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11784271761.html

 

 

 

高田善左衛門は、天保10年(1839613日に金沢を発駕(出発)する13代藩主前田斉泰公参勤道中の旅館の夜詰、昼休み御見立と云う役で支度金、旅用金に相当する「知行当り出銀」と滞在手当と日当に当たる「御扶持方代銀」を支払う願書を526日に出し、250の藩士の受ける「知行当り出銀」銀380(今の63万円)を受け、出発の1週間前に「御扶持方代銀並びに乗馬飼育料」の一部30日分として486(今の78万円)を受け取ります。

 

 

 

「知行当り出銀」は、加賀藩で定めた参勤交代の供廻りの人数と馬の数です。幕府の軍役に準じた規定で加賀藩では500石の藩士は「上下12人と乗馬一疋」に定められていて、善左衛門は役料併せて550でした。(上とは善右衛門で下は供廻り11人)500になると格式上、馬を飼わねばならなく、馬を飼えば馬の口取りも雇わなければならない。それに100石取りの藩士槍持を従える必要があり、善左衛門槍持も必要でした。「御扶持方代銀並びに乗馬飼育料」は、召し連れていく人数と馬に支払う性質上から変更が起きやすく、また、江戸の米価によって幾分調整されるので、普通は中勘払を何度か受け、後日のなって正式の本勘差引きで精算されました。)

 

 

 

「御扶持方代銀並びに乗馬飼育料代」は、江戸に着くと善左衛門を含め12人と1の飼料代として100日分1680(今の280万円)が支給されますが、その内から30日分が出発前に前借りした468(今の78万円)で、残り1212(今の202万円)と併せて、一人分およそ36匁で銭に換算すると、一日約250060匁=4000文)1文が今の25で換算すると63000になり、当時の日雇労働者の1130(今の3,250円)と比べるとそれより少ない勘定になります。

 

(参考:一両(金)=60匁(銀)=4000文(銭)=10万円として換算(当時は変動相場で時代や景況で相場が変動しますが、今回は上記で換算しました。但し米一石=金一両は江戸時代を通して多少の変化はありますが、概ね決められていました。)

 

 

 

さらに、善左衛門11人の供廻りの他、江戸までの通しの日用人足14名を雇い、自分を含め都合26人になり、勿論、日用人足14旅籠賃や荷物を運ぶ駄賃は、藩は一切面倒を見てくらないのですべて善左衛門持出しになりました。

 

しかも善左衛門は、近習御用という役職なので、普通の藩士は江戸勤番が6年に1回と決まっていましたが、天保6年(1835)・8年(1837)・10年(1839)・11年(1840)と毎回の参勤の供を命じられ、その都度、会所から借金を重ねています。

 

 

このような事情に対し藩は「御会所裁許の御貸銀・知行当りのほか過借銀、百石につき5百匁あて、無利息にて貸付」有利息と無利息の2段階に分けた融資制度を設けていたそうで、(最近どこかの国でコロナ対策でやっている制度とよく似た制度!?)善左衛門もこの制度を利用していたらしく、記録では、1250(今の210万円)15年賦の年利率六分で借用し、無利息融資で銀一貫950(今の328万円)年賦15年払いで借り入れ、毎年のように借用証書を書き換え借入金総額26233(今の4407万円)となり、2年間の収入に当り返済の目途の立たない借金がありました。

 

 

 

天保10年(1839)の加賀藩財政は、宝暦6年(1756)から始まった借知(藩が家臣から知行を借りる事)が、天保8910年と知行の半分まで増えた時期に重なり、藩士の知行から半分も借上げ(返済されなかったと聞く!?)ら、その分の金額を貸し付けられたのですからたまったものではありませんが、はすでに天明8年(1788)の時点で、加賀藩の10数年分の借銀を抱えていたらしく、藩も藩士破産寸前でありました。

 

つづく

 

参考文献:「参勤交代道中記―加賀藩史料を読む-」忠田敏男著 株式会社平凡社 19934月発行 実録参勤交代(別冊宝島2395号)宝島社 201510月発行 「武士の家計簿」磯田道史著 株式会社新潮社 2003年発行 (写真は石川県立歴史博物館・金沢市立玉川図書館・Wikipediaなど)