天下の書府①宰領足軽が著述した三壺聞書 | 市民が見つける金沢再発見

天下の書府①宰領足軽が著述した三壺聞書

「加賀藩・金澤」

江戸時代中期に、加賀・能登・越中の名将や勇士の記録した「三壺聞書」は、加賀藩最初の通史といえるもので、中心になるのは織豊時代の成立と、それに関わる加賀藩初代利家公の武功、さらに前田家の興隆を記述したもので、5代藩主綱紀公の宝暦年間(17511763)に成立したものと思われるもので、切米34俵(17石)割場宰領足軽であった山田四郎右衛門の著作といわれています。「天下の書府」といわれた加賀藩とはいえ、当時、一介の足軽に過ぎないものが、壮大な史書を著述したことは驚嘆に価します。

 

(金沢城石川門)

 

「三壷」の語は、原稿紙が三個の壷に満ちたことからという。この文書は、数名の手による写本であり、終わりにゆく程粗雑になっているらしい、巻之八など目録と本文とが違っているものもあるそうです。原著は14冊本で、後年付け加えられ17冊本に、さらに後の人が加え22冊本になっているらしく、14冊本は22冊本に比べると稚拙だと言われていますが、当時、足軽以下の身分が低いものは文盲であったはずなのに、三壺聞書国史藩政史に精通していたのは、5代綱紀公の文化政策が藩内に浸透していたことが窺えます。宰領足軽は、藩の公用荷を運搬に同行する足軽の役職で、士分ではなく、奉公人に近い身分だったそうです。)

 

(巻之八)

 

「三壺聞書」は、江戸時代初めから前期にかけての金沢城や城下の動きを知る上で不可欠な著作で、昭和6年(1931)に「加能郷土辞彙」の郷土史家日置謙所蔵本活字化石川県図書館協会発行)されています。これまでの調査で全国に28種類の写本が確認でき、14巻構成がオーソドックスなものであることが分かっています。活字化されたものは、原本に近いと思われる石川県立図書館の森田文庫本を底本として用いたものです。

 

(3代利常公)

 

(書籍名 三壺聞書 日置謙校訂(寄与者山田四郎右衛門)出版社 石川県図書館協会・昭和6年( 1931)発行 ぺージ数352 P

 

(巻之十四)

(巻之二十二)

 

(郷土史家日置謙:明治634(1873)~昭和21(1946)66日。出生地石川県金沢市、第四高等中学校を明治27年卒業後、教師として石川・熊本・福井・岩手各県の中学校などに勤務。明治38年金沢に戻り、石川県立金沢第一中学校教諭となり、その傍らで石川県の郷土史を研究し、大正10年には「石川県史」編纂員に就任。15年に教職を依願退職した後は研究と著述に専心し、昭和3年侯爵前田家編輯員となって「加賀藩史料」全18巻の編集・刊行に尽力した。編著は他に「加能郷土辞彙」「加能古文書」などがあり、「羽咋郡誌」など石川県下7郡の郡誌の監修・編纂も手がけています。)

 

(前田家本)

 

三壷記と書かれたものも見掛けますが、正式な標題は「三壷聞書」です。「天文以来諸国武将古事書記より拾い、加越能三州の興起を記す」とありますが、金沢に居を構えた小瀬甫庵著の「信長記」「甫庵記」などを参考に、鎌倉・室町・戦国の情勢から始まり、加賀3代藩主前田利常公の逝去で終っています。加賀藩最初の通史といえるもので、中心になるのは織豊時代の成立と、それに関わる加賀藩初代利家公の武功、さらに前田家の興隆を記述したもので、このような文献は後に冨田景周著「越登加三州誌」や津田政鄰の「政鄰記」があり、明治には森田柿園の「金澤古蹟志」に繋がっていきます。

 

(5代綱紀公)

 

内容一例

・加州士大坂高名穿鑿 ・利常卿光高朝臣江戸参勤并横山大膳陳謝 ・秀忠公御他界 ・ 御遺物諸侯ニ被下 ・森川出羽守追腹 ・西丸落書 ・伊丹播磨守蟄去 ・利常卿兒小性口論 ・今枝民部家士山本九郎左衛門事 ・金沢町中水道普請 ・光高朝臣江戸御屋敷焼失 ・ 大山五郎左衛門事 ・佃源太郎事 ・本多安房事 ・加藤肥後守事 ・駿河大納言忠長卿生害 ・光高朝臣御嫁聚 ・本願寺末寺建立など

 

小瀬甫庵:永禄7年(1564106日生まれ~寛永17年(1640821日歿は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての儒学者、医師、軍学者。「太閤記」「信長記」の著者として知られ、美濃土岐氏の庶流。尾張国春日井郡の出身であるという。坂井氏の養子となるが、後に土肥氏を名乗り、最後に小瀬氏に改めています。はじめ医学と経史を学んで、織田氏家臣の池田恒興に医者として仕え、その死後は豊臣秀次に仕え、秀次の死後には活字本の医書を刊行しています。関ヶ原の戦いの後に堀尾吉晴に仕えて、松江城築城の際に縄張りも行ったという。吉晴死後は浪人となったが、播磨にしばらく住み、京都に移った。寛永元年(1624)には長男坂井就安が前田利常公に仕えた縁で加賀藩で知行250石を賜り藩主の世子光高公兵学の師となりました。)

 

拙ブログ

「太閤記」の小瀬甫庵と普明院跡

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11280452709.html

 

 

つづく

 

参考文献:「加賀百万石」田中喜男著 株式会社教育社 19804月発行・「三壺聞書」山田四郎右衛門著(校訂者日置謙)石川県図書館協会 昭和611月発行