貨幣は国家が造るもの・・・⑭戦後の新円切替とハイパー・インフレ!? | 市民が見つける金沢再発見

貨幣は国家が造るもの・・・⑭戦後の新円切替とハイパー・インフレ!?

【日本】

新円切替“とは、2次世界大戦の敗戦から半年後の昭和21年(1946216日に、幣原内閣が発表した戦後インフレーション対策として行われた金融緊急措置令による新紙幣(新円)発行と従来の紙幣流通の停止された通貨切替政策でした。

 

(皇居二重橋)

 

敗戦により、物資不足から物価高及び戦時中の金融統制の歯止めが外れたことから市民は現金確保の為の預金引き出し集中し、また、政府も軍発注物資の代金精算を強行して実施したことなどから、市中の金融流通量が膨れ上がり、激しいインフレが発生した対策だと云われています。

 

(当時の米国と書かれたという新円10円札)

 

この時、同時に事実上の現金保有を制限させるため、発表翌日の17日より預金封鎖し、従来の紙幣(旧円)強制的に銀行へ預金させる一方で、昭和21年(194633日付けで緊急金融措置令および日本銀行券預入令を公布し(新円と交換しない限りは預金を引き出せないようにした措置)世帯月の引き出し金額を500円以内現在の75,000に制限させる等の金融制限策を実施し、インフレ抑制(通貨供給量の制限)とともに、財産税法制定・施行のため、資産の差し押さえ資産把握の狙いも有り、従来の紙幣(旧円)に代わりの新しく新円が発行されますが、結局、インフレは抑えきれず、そのため市民が戦前に持っていた現金資産は、ほぼ無価値になりました。

 

(どんなに預貯金をもっていたとしても、1年間で90万円しか引き出せないということです。当然街中パニックになり、銀行には長い列ができますが、時すでに遅し!!

 

(硬貨や小額紙幣は切替の対象外とされ、新円として扱われ効力を残されますが、そのため小銭が貯め込まれ少額決済に支障をきたします。また市民は旧円が使えるうちに使おうとしたため、旧円使用期限までの間は、当局の狙いとは逆に消費が増大していします。占領軍アメリカ軍人は所持する旧円を無制限で新円に交換することができ、闇で日本人から旧円を割引相場で買い取って新円に引き換え利鞘を稼ごうとするアメリカ軍人も現れ、発覚した者については処罰されていますが、十分な新円紙幣を日本政府が用意できないため、占領軍のアメリカ軍人への新円支払いには軍票が用いられました。また新円紙幣の印刷が間に合わないため、回収した旧円紙幣に証紙を貼り新円として流通させます。その際に証紙そのものが闇市で出回っていたという証言があり、証紙付き紙幣は後に新紙幣との引換えが行われた後に廃止され無効となります。)

 

しかし、預金封鎖の究極の目的は、政府が国民の資産すべてについて高率の課税をし、それを貯まりにたまった国債償還財源に充てることでした。資産課税をするためには、金融資産を固定して、不動産などその他の資産に大幅に移動されては混乱がさらに大きくなって困ることになると考え資産課税を円滑に実行するためでした。これにより、銀行預金や郵便貯金は当然として、他の金融資産(株式や年金・保険)さらには家屋土地といった不動産、そして機械設備など、ほぼすべての資産課税対象となりました。

 

(国会議事堂)

 

当時、大蔵大臣だった渋沢啓三が当時の大蔵省官僚の福田赳夫(後に総理大臣)から、通貨の封鎖は、大臣のお考えではインフレが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか?」と聞かれたのに対して、「いや、そうではない。財産税の必要からきたんだ。まったく財産税を課税する必要からだったと答えています。まさに政府は巧妙に国民をたぶらかしています!!

(平成27年(2015216日、NHKの報道番組『ニュースウオッチ』で、「預金封鎖もうひとつのねらい」と題された特集より)

 

どうも預金封鎖の真の目的は、厖大な額の返済のめどが立たない国債の償還財源を得ることで、預金封鎖より半年後に財産課税が発表しています。それは、上記、渋沢啓三大蔵大臣が後日明かしたように、財産課税を行う布石で、国民には隠し続けています。それを証明するものとして、財産額確定の期日は預金封鎖より9カ月後の昭和21年(194611月に財産税法が制定され、昭和21年(194633日、預金封鎖より2週間後、個人及び法人の資産について高率の資産税を課すことが決められました。

 

(実際の課税は、個人の所有資産の額に応じて25%から最高90%の税率が課されました。10万円未満の資産しかもたない世帯は非課税とされました。昭和213月当時の10万円(現在価値1,090万円)に相当する金額です(昭和21年3月~平成28年までの物価上昇率=109。所有資産額ごとに課税率を計算してみると、所有資産が1,850万円(現在価値)の世帯で10%、そして3.3億円程度の資産をもっている世帯で課税率が50%に達します。そして所有資産の額が54億円を超えると税率も80%を越えるといった様子です。)

 

 ハイパー・インフレ!?

実際には、敗戦時の昭和20年(19458月から1年経った昭和21年(1946)には、物価は5.4になっています。そしてさらにその後の1年間に物価は3.3になり、つまり、2年間で物価は18になったのです。しかし、多くの経済学者は高率のインフレではあってもハイパー・インフレではないというのです。その根拠は、世界基準の毎月物価上昇率50%、年率に直せば年間13,000%、つまり1年間で物価が130になるようでなければ、ハイパー・インフレではないとしているらしい・・・。

インフレの原因は、どうも、多くの戦費のため戦時国債を発行した、その返済だと思われがちですが、そうではなく、物資不足によるインフレで、当時の大蔵省は、知ってか知らずか分かりませんが、明らかに大蔵省のミスリ一ドだったものと思われます。

 

(国際会計基準の定めは3年間で累積100%以上の物価上昇」ハイパー・インフレの定義としていますが、ある学者に一つの例として「歴史的な経験から見てハイパー・インフレの原因は、主に深刻な財政赤字をファイナンス(資金調達)するためにシニョリッジ(通貨発行益)を利用し、その結果、急激な貨幣成長率にある」と指摘しています。しかし、誰かがハイパー・インフレではないと云っても2年間で物価は18100円のモノが1800円)になれば、ほとんどの市民は食ってはいけない!!)

 

 

 

ドッジ・ラインでデフレへ

戦後占領期の昭和24年(19492月、日本経済の自立と安定のために実施された財政金融引き締め政策で、インフレ・国内消費抑制と輸出振興が軸に、GHQ経済顧問として訪日したデトロイト銀行頭取のジョゼフ・ドッジが、立案し勧告します。ドッジの有名な言葉に、「日本の経済は両足を地につけておらず、竹馬 にのっているようなものだ。 竹馬の片足は米国の援助、他方は国内的な補助金の機構である。 竹馬の足をあまり高くしすぎると転んで首の骨を折る危険がある」と訪日したドッジは記者団への会見で述べています。復金インフレの収束、市場の機能改善、単一為替レートによって日本経済が世界経済にリンクされ国際市場への復帰が可能になったことなどが好影響として挙げましたが、逆にデフレが進行し、失業や倒産が相次ぐ「ドッジ不況」(安定恐慌)を引き起こします。昭和25年(195076日に、東京証券取引所の当時の修正平均株価(現日経平均株価)は、史上最安値となる85.25を記録します。さらに同時期に国鉄、専売局が公社化され、大規模な人員整理の下、三鷹事件や松川事件など相次いで起こり社会情勢が不安定になります。しかし、昭和25年(1950)6月に朝鮮戦争が勃発すると、それまでのGHQの日本を貧民化する政策がコロッと変わり、援助政策に変わると経済は好転し、朝鮮特需と呼ばれる好景気が起りました。

 

 

 

復金インフレ:復興金融公庫の融資資金は復興金融債権の発行により調達します。その債権の多くが日本銀行の引き受けることになり、これにより市場に供給する貨幣の量が拡大してその価値が下がることとなり、インフレが引き起こします。ドッジは古典的な自由経済主義者であったが新自由主義を信奉していたため、この「竹馬発言」にも見られるように統制的なインフレ対策を嫌いますが、GHQの経済官僚はニューディーラーとして介入的なインフレ対策を支持したため、ドッジは必ずしも歓迎されなかったとされています。)

 

(当時のGHQ司令部)

 

引用させていただいた「小塩丙九郎の歴史・経済ブログ」これからハイパー・インフレは本当に起こるのか?若者はどこに向かわされているのか?(8)で、以下のように若者や学者に呼びかけています。

「そして、より重要なことは、太平洋戦争(第2次世界大戦)敗戦時にそうであったようにではなく、事前に意識ある有能な学者や意識の高い若者たちが、今度こそ3四半世紀毎に大経済破綻を繰り返すという日本の社会構造を大改革して、現代の若者、そしてこれから生まれてくる将来の世代が安定してより豊かで幸せな社会を築いていくことができるような環境をつくりだす方法を考えておくことだ、と小塩丙九郎は考えています。」と・・・。

 

現在、新型コロナ対策として、国債が何兆円も発行され、その財源は税金ではなく通貨発行益(現在の日本では償還の必要なし)なので、心配なのは激しいインフレであるが、当面その心配は少ないと、前に大学教授の高橋洋一氏がおっしゃっていましたが、それでも政府は後に新しい税制をつくり、それで回収するのではないやろネ!?昔も今政府屁理屈を付けて合法的に何を言い出すか分からんもんネ・・・!?

 

 

参考史料:「小塩丙九郎の歴史・経済ブログ」これからハイパー・インフレは本当に起こるのか?若者はどこに向かわせるのか?(6)(8)・フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」