小説「西郷の首」④西郷隆盛と大久保利通と2人の”加賀っぽ“ | 市民が見つける金沢再発見

小説「西郷の首」④西郷隆盛と大久保利通と2人の”加賀っぽ“

【金沢・東京】

明治8年(18752月、金沢寺町の大円寺で、正義党が政治結社忠告社となり、結成式がおこなわれ、招待された島田一郎が、三光寺派100人を引き連れ訪れ、招待されない者の入場を断れ、乱闘騒ぎを起こすところから第4「擲身報国」が始まります。

 

 (金沢城の月)

 

「擲身報国ていしんほうこく」 一身を投げ打って国に報いるという四文字熟語。文次郎、一郎は・・・。

 

 

 (金沢寺町・大円寺)

 

その頃、国家の政治体制は、木戸や板垣が参議に復帰し、挙国一致に近い態をなし、帝国議会開設が1歩近づいてきます。一方、金沢では、3月に忠告社を押す県令内田政風も高齢を理由に県令を辞し、当時、“忠告社でなければ人に非ず”と言われ県の要職を独占していた忠告社は県政の実権を失います。そして2人の物語は佳境に入ってきます。

 

 

 (千田文次郎)

 

千田文次郎登文(せんだぶんじろうのりふみ):弘化4年(1847)金沢生まれ。実家は足軽笠松家4男。16歳で足軽千田家の養子に入る。養父仙右衛門が急死し末期養子のため切米50俵を33俵に、剣道を好み小野派一刀流の道場に通い剣道指南役を目指す。戊辰戦争では藩兵の下士官として参戦、西南戦争では中尉で西郷隆盛の首を発見。日清戦争では大尉で戦場で拾った赤子を抱いて奮戦。日露戦争にも従軍し名を馳せる。生涯乃木将軍を尊敬し、石川乃木会や在郷軍人会を創設。昭和4年に81歳で死去。石川県出身。

 

  (島田一郎)

 

島田一郎朝勇(しまだいちろうともいさみ):嘉永元年(1848)金沢生まれ。幼名は助太郎。祖父久兵衛は持筒足軽の倅で島田家の養子に入って割場付足軽。父金助も養子で割場付足軽から横目、下屋敷下役などを歴任。両人とも株買いの養子であったといわれています。母は町人の出でしたが、嘉永3年に没したため、島田一郎は継母に育てられます。後に藩の陸軍少佐になる。やがて軍をやめ反政府活動(三光寺派)として立つ。(日露戦争で戦死した弟の島田冶三郎が家を継いだといわれています。)大久保利通暗殺事件を企て実行。明治11年(1878)刑死。石川県出身。 

 

 (三光寺)

 

物語は、足軽の小倅2人文次郎と一郎は、やがて文次郎は陸軍軍人となって西南戦争に参戦し、薩摩軍が隠した西郷隆盛の首を発見、もう一方の一郎は反政府活動に傾倒し400人の不平士族を束ね武装蜂起を企てます。そして2人は友情と生き様を伝えてくれます。

 

≪西南戦争≫

西南戦争は明治10年(1877)に、今の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県で起こった士族の反乱です。 明治維新の功労者である西郷隆盛を中心に、鹿児島(薩摩)出身の士族が起こします。戦いのきっかけは、明治に入って近代化の道を歩みだした日本は、維新の立役者となった士族の特権が政府によって奪われていきます。こうした士族から多くの支持を集めていた西郷隆盛が明治6年に、新政府の職を辞して下野し鹿児島に去ります。

 

その後、西郷は鹿児島に「私学校」を作り、新政府に不満を持つ藩士の統制と若者の教練を行いますが、この私学校の生徒が鹿児島で勢力を持つようになります。その頃、新政府が鹿児島の軍需工場に保管されていた武器弾薬を秘密裏に運び出すという事件が起きます。これに反発した私学校の生徒達は各地の弾薬庫を襲います。そして新政府は“西郷が不満を持つ士族をまとめて反乱を起こす”ことを恐れます。西郷は初め新政府と事を構えることに反対でしたが、新政府の西郷暗殺計画が事前に発覚し西南戦争が勃発します。

 

 戦力は、薩軍(私学校・不平士族軍)が約3万、新政府軍は約7万。薩軍は旧熊本城の鎮台を取り囲みますが、新政府側は素早く察知し、新型の武器を保有する兵力を送り込みます。開戦から7か月、新政府軍死者6403人、薩軍死者6765にのぼる最大の士族反乱は新政府軍の勝利に終わり、西郷隆盛の切腹によって西南戦争は終結します。

 

 

  (西郷隆盛)

 

≪西郷の首伝説≫

西郷が切腹した後、「西郷の首」は新政府軍の千田文次郎中尉により発見され、新政府軍の指揮官山県有朋らによって確認され、胴体とともに鹿児島の西郷南洲墓地に埋葬されたとされますが、西郷隆盛生存を信じる一部の信奉者の“未発見説”“偽物説”がくすぶっていました。後に金沢で発見された千田中尉の「履歴書」の中に「西郷ノ首ナキヲ以テ、登文ニ探索ヲ命ゼラル」「探索ヲナシタルニ、果シテ門脇ノ小溝ニ埋メアルヲ発見シ、登文、首ヲ●(もたら)シテ、浄光明寺ニ到リ山県(有朋)参軍、曾我(祐準)少将ニ呈ス」という記述があり、埋葬された首が本物であることがはっきりしたことで、その伝説は終止符が打たれます。

 

≪参考≫

拙ブログ

明治の金沢”政治結社“①忠告社から盈進社

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-12197003651.html

島田一郎①紀尾井町事件

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11883474463.html

島田一郎⑤終焉とそれから

https://ameblo.jp/kanazawa-saihakken/entry-11888275384.html

 

 

  (大久保利通)

 

読み終えて、最近、論客の1年生議員がよく端折って使う西郷隆盛の言葉「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るものなり。この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。」が耳に響きます。なるほどこういうことを言うのだ!!そういえば登場する人物は?少なくとも西郷さんや大久保さんは勿論ですが、主人公2人もそうではないのかと思いながら、なにやら清々しさを感じていました。惨たらしい戦争の場面や切腹、生胴や刎首が克明に書かれているのに・・・。作者の筆力によるものか?主人公達の一身を犠牲にする本気の覚悟と無私の心の成せる事なのか、多分両方相まってのことでしょう。同じ郷土を持つ者として誇らしい反面、あらためてテロの愚かさが痛いほど分りました。

 

 

 (小説「西郷の首」)

 

この小説は、「西郷の首」という題名ですが、金沢を舞台とした幕末から明治維新、明治初期に活躍した2人の男の物語です。是非、ご一読を・・・。

 

参考文献:「西郷の首」伊東潤著 平成29929日 角川書店発行

(伊東潤略歴1960年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業。「国を蹴った男」で吉川英治文学新人賞、「巨鯨の海」で山田風太郎賞と高校生直木賞を受賞。ほかの著書に「悪左府の女」など。) 「石川百年史」石林文吉著昭和47年石川県公民館連合会石林文吉著 「七連隊・千田中尉西南戦争の秘話」大戸宏著 月間アクタス(平成84月号)北国新聞社発行ほか