#145 甲斐バンド「きんぽうげ」 | 漂流バカボン

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甲斐バンドといえば、自分が最初に知ったのは小学校高学年の頃、「HERO~ヒーローになる時、それは今」というヒットソングによってでした。




多分、他の多くの方もこの曲で甲斐バンドを初めて知ったのではないかと思います。CMソングにも使われ、ラジオのヒットチャート番組などで連日流されていました。



もちろん、TV番組「ザ・ベストテン」でも上位にランクインされていましたが、当時この番組はニューミュージック系やロック・フォーク系のアーチストは出演拒否をすることも多く(そんな事態でもランキングを操作しないのが「ザ・ベストテン」のいい所なのですが)、甲斐バンドもほぼ出演することはありませんでした。




正確に言うと「ザ・ベストテン」では、中継ではありますが一度出演したのを見たのを記憶しています。甲斐よしひろが歌う前に確か、「今、TBSの奴らがきているんだけどよ」みたいな台詞を言っていたのを、今でも印象深く覚えています。




その後、「安奈」のヒットもあり、自分の中で甲斐バンドという存在はミュージシャンとして認識はしていたのですが、そういうヒットチューン的な領域でしか聴くことはありませんでした。








そんな自分が再び甲斐バンドと出会ったのは、もっと後になり1980年代後半、甲斐バンドが解散する前後の事でした。


この頃自分は音楽のジャンルでいえばポップスやニューミュージック、フォークはよく聞いていたのですが、ロックは気に入ったアーチストが限られており、それほど積極的に聴くことはありませんでした。




そんな自分が、偶然貸しレコード屋で借りたアルバムが、『ラブ・マイナス・ゼロ』でした。そういえば、子供の頃から時々耳にしていた甲斐バンドって、一体どんな曲を歌っているのだろうという好奇心からでした。




このアルバムの曲の数々が、自分の期待をいい意味で裏切ってくれました。すごくかっこいいサウンドで、また甲斐よしひろのボーカルが、男の色気漂ういい声で、以前「HERO」の時に聴いた勇壮な感じとは印象とまた違う感じでした。


「冷血(コールド・ブラッド)」「フェアリー(完全犯罪)」「ラブ・マイナス・ゼロ」等が収録されたこのアルバムをきっかけにして、自分は甲斐バンドの過去の曲をさかのぼって聴くようになりました。











するとそこには、自分がこれまで知らなかった事を後悔したくなるくらいの、名曲の数々が存在していました。


甲斐バンドの曲は、それぞれの曲が一つ一つの短編小説のようで、それぞれにドラマがあります。




「裏切りの街角」


「ダニーボーイに耳をふさいで」


「ポップコーンをほおばって」


「氷のくちびる」


「メモリーグラス」


「テレフォン・ノイローゼ」


「BLUE LETTER」


「地下室のメロディー」


「破れたハートを売り物にして」・・・・・・




どれも自分が好きな曲です。


その時の気分によって聴きたい曲も変わってきますし、優劣つけがたい曲の数々ですが、こうしてリストアップすると、比較的初期の曲が多いかもしれません。




後期になればなるほどハードボイルド感が強くなっていくような感じで、それはそれで格好いいのですが(例えば先ほど紹介したアルバム『ラブ・マイナス・ゼロ』もハードボイルド感は強い仕上がりになっていますが)、初期の抒情的な曲の方が自分には合っているかな、という感じです。




そして、今現在の自分が、甲斐バンドの中で一番好きな曲は何かと聞かれれば、今日のタイトルに挙げた「きんぽうげ」と答えます。




♪「あなたに 抱かれるのは 今夜限りね」


 淋しすぎるよ そんな台詞 似合いはしない




別れの気配を感じている男女が、お互いへの愛情の残り火を抱えながら、悲しい駆け引きを続けていくという内容の歌詞で、男の側からの孤独と淋しさを、都会的な雰囲気を織り込みながら上手く歌詞にまとめていると思います。


また、少し陰翳を含んだような、印象に残るメロディーも自分はとても気に入っています。




そしてここでも、何といっても甲斐よしひろの、少し憂いを帯びたようなボーカルがいいのです。少し抑制気味に歌っているのですが、それがまたこの曲の世界観にぴったり合っており、乾いた哀しさがよく表現されているように思います。




甲斐バンドは1986年に解散し、その後何度か再結成されますが、やはり70年台~80年代の甲斐バンドは偉大な存在のロックバンドだった、という事を少し遅れて知りました。








あと、これは余談ですが、甲斐バンドとの思い出をひとつ。昭和も終わりの頃、自分は浪人生活に突入し、受験勉強に励みつつ不安を抱えた日々を送っていました。



その頃、予備校が代々木だったので、予備校帰りに夜の新宿中央公園をぶらぶらと散歩していることが多かったのですが、心中は将来への漠然とした不安で一杯でした。そんな時に自分は、夜の新宿中央公園で、すぐ近くにある高層ビル群の闇に浮かぶその偉容と無数の灯りを見ていると、逆に何故か落ち着いた気分になれるのでした。




確かまだ新都庁が出来る前で、これらビル建設予定地に空き地も目立つ時代でしたが、ある夜のこと、例によって、高層ビル群の見晴らしのいい中央公園付近の歩道橋を歩いていた時、ふと歩道橋の欄干を見ると、何やらおびただしい数の書き込みがしてあるのが目に入りました。




それも、一人ではなく、何人もが思い思いに書き込んだ、巨大な寄せ書きのような感じだったので、一体何だろう、と思って書き込みを読んでみました。


すると、そのそれぞれが、何と甲斐バンドへの熱い思いや感謝を綴った言葉の集まりでした。


ある書き込みは詩のように、ある書き込みはつたない言葉で、甲斐バンドへ書き込まれたメッセージ。




その時は驚いて、これは何なのか?と不思議に思いました。しかし、自分も甲斐バンドを好きな一人となっていたこの頃、摩天楼をバックにして不意に現れたこの書き込みは、不意に仲間に会ったような気がして、一瞬自分の不安な心持を慰めてくれました。




後に知ったのですが、どうやら、1983年に甲斐バンドが都庁建設予定地(都有5号地)で3万人を集めたGIGを開催したそうです。


おそらくこの書き込みはその時に参加した観客の手によるものか、もしくはこの地を甲斐バンド伝説の地としたファン達が後から書き込んだものなのかもしれませんが、その人達によってこの歩道橋に甲斐バンドへの熱い想いが書き込まれ、それを偶然自分が目にしたという事でした。




それから四半世紀以上が経過し、もう遥か前に都庁も完成し、これら書き込みの数々も既に撤去されているはずです。しかし今でも、自分はこの辺りを訪れると、決まって甲斐バンドの曲がふと頭の中に蘇ってきます。