「芸能生活42年 中山秀征の歴史
 80~90年代芸能史と共に振り返る」
 
スタジオに中山秀征。
 
MCのイメージがあり、
バラエティの出演が多数あり、
かつてはドラマの主役も務めていた。
では、そもそもは?
 
本人曰く「歌手を目指していた」が
歌は違うという空気から芝居班に回され、
そちらもいまいちということで
事務所に新設されたバラエティチームに引き取られることに。
(三谷幸喜や石塚英彦も在籍)
そこでABブラザーズを結成、デビュー。
即、ブレイク。
1年目から「ライオンのいただきます」レギュラー出演、
ANN土曜一部も担当。
(月曜から中島みゆき、とんねるず、小峰隆夫、ビートたけし、サンプラザ中野)
若い女性から圧倒的な支持を得る。
しかし、4年目にお笑い第3世代の波が来る。
ウッチャンナンチャンとダウンタウンの勢い。
当時既にテレビに出ていたのでネタも作っていなかったABブラザーズは
苦境にさらされる。
当時の関口マネージャーに「負けを認めろ」と言われるほど。
そして92年に解散。
当時の中山秀征はホッとした感覚もあり、タレントへの転身を図る。
 
タレント・中山秀征の原点となる番組「DAISUKI!」(91年~00年)
当時は新鮮な街ブラ。
楽しいことをそのまま伝えるというスタイルをここで確立。
1時間番組なのに11時間カメラを回す。

MCとして売れだしていた中山秀征が鼻っ柱を折られたのが
93年「殿様のフェロモン」。
今田耕司とのダブルMCで、バチバチの空気に。
当時14本のレギュラーがあった中山秀征と1本目のそれの今田。
今田としてはヌルい空気に納得いかなかった様子。
番組はわずか半年で終了。
15年ほどして今田から謝罪。
「あの時は全員を殺しに行くつもりだった」
「テレビを知らなかった。
 あの時わかっていたのはヒデちゃんだけ。
 今、俺はあの時のヒデちゃんをやっている」
 
95年~02年「THE 夜もヒッパレ」もヒット。
 
当時のテレビ界の、今では考えられないエピソード。
・ワタナベの新年会(社長賞で車)
・番組の打ち上げも派手、テレ朝で万札のつかみ取り
・志村けんに何千万奢ってもらったか…。
 
今のテレビ業界の魅力は出演者や技術。
コンプライアンスで色々やれないと言ってはいるけど、
今の方が関わる人の能力が高いわけだから、
逆に何だって出来る。
「ここから作るんだよ、もう1回!」


 
VTR証言:石塚英彦
ホンジャマカで中山秀征と同期。
出会いの印象はレッグウォーマーのダサさ(笑)
ただ、ダンスは上手くて「こういう奴がスターになるんだな」と。
大袈裟な話ではなく中山秀征が頑張ってくれたから
今のワタナベのお笑い班がある。
(ネプチューン、TIM、ハライチ…)
「DAISUKI!」は今の日本のロケ番組の基本を作った。
中山秀征はいつも楽しんでいる。
彼がいつもテレビに呼ばれているのは出演者を喜ばせようという精神。


 
テレビ朝日のライブラリーからABブラザーズの貴重映像。
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