この作品はまだ新しめの作品でして、以下ネタバレがありますので未見の方は読まないようにお願いいたします。

 

 私、西川美和監督は2006年の『ゆれる』を見て以来大ファンで本当に”凄い””得体の知れない”映画を撮る監督だなぁと畏怖しておりました。

 得体が知れないながらも西川作品についての私の解釈は…

 

 優しく魅力的な人間がその優しさや魅力ゆえに犯罪を犯してしまう、若しくは冤罪に巻き込まれる、そしてその不幸を糧に自身も周りも新たな目覚めや幸福を得る。

 

 …そんな姿を描いているのかな?と漠然と解釈していたのですが2009年の監督作『ディア・ドクター』だけが主人公に魅力も本質的な優しさも感じられず、目覚めも無く「変だなぁ」と思っておりました。

 そして今作『すばらしき世界』も前半ずっと主人公に魅力が感じられず(脇役にも)「あ~これは『ディア・ドクター』のパターンだ…」と少しがっかりしながら見ておりました。

 しかし後半に入って”ある瞬間”を切っ掛けに主人公や脇役たちに突然”魅力”が溢れてきます。

 そのとき私は思いました。

 

 「西川監督は見える人なんだ」…と。

 

 ここから激しくネタバレしますので閲覧注意です。

 

 何が見えるかと言うと”悪霊”です。

 殺人者や今後殺人をするであろう人間に憑いている”黒い鬼”…

 

 そんな鬼に取り憑かれていた主人公の人生は映画後半の”ある瞬間”を境に一変します。

 組長の奥さんに顔を近づけられたときに憑き物が奥さんに乗り移る。(奥さんもまた優しい人だった)

 それまで映画の中で不快なキャラクターだった主人公が急に魅力的な存在になる。

 東京へ戻ると周りの人達との関係が良好になり、周りの人達自身も魅力的に変わる。

 全てが上手くいく…そう思った矢先に主人公は死んでしまいます。

 え?何故?憑き物が取れたのに!…また分からなくなる。

 しかし少し考えて答えが見つかる。

 そうだ!主人公は別の、もっと悪い憑き物をその優しさゆえに(花と一緒に)貰ってしまったではないか!

 障碍を持ちイノセントな同僚の(主人公へのあてつけのセリフ回しの為としては)無駄にしつこく無理のある過去設定。

 あの無理のあるしつこい不幸こそが黒い鬼のもたらす不幸特有のものだ。 

 つまり西川作品の主人公たちは”優しさ”によって犯罪に巻き込まれたのではなく、優しさによって悪霊を貰ってしまった人々を描いているのだ。

 

 そう考えると『ゆれる』の主人公は悪霊に取り憑かれて不幸のどん底に落ちることが重要なのであって冤罪かどうかは問題ではなかったということになる。

 女性と兄弟で擦り付け合った悪霊は最終的に兄が背負って町を去ったのだろうか。

 

 つまり西川美和作品はヒューマンドラマに見せかけた呪いのホラー映画?

 いや、この世とあの世の関係性を科学的?に描いているサイエンスフィクションなのかもしれない。

 優しい”だけ”の人は取り憑かれてますよ…という。

 

 以上、私の勝手な解釈になります。