今回は、二人目出産してからを書きます
二人目出産後は、ヘモグロビンが7グラム台でしたが、また、長女を出産した時のようにじわじわと正常値まで増えて行くだろうと思っていましま。もちろん、無治療で。
でも、少しずつ少しずつ数値は下がり続け、また、シクロスポリンを服用することになりました。
数値が上がる事を期待してましたが、出産して四年後には、定期的に洗浄赤血球の輸血を受けるようになりました。その頃の病院の血液内科医には、骨髄検査は特に必用なしと言われていました。私もしたくなかったのでお願いもしませんでした。でも、高校三年の時に服用して効いたプリモボランを処方してほしいと頼んだら、肝機能が悪くなるといけないからダメと言われて出してもらえませんでした。主治医は、私には骨髄移植も無理だしATG なども効果無いだろうと言われて支持療法のみで過ごしていました。ヘモグロビンは最低4グラム台まで下がり血小板も5000前後でした。その頃、目を擦ると眼球で出血して目が見えなくなったりしました。後、生理が大量で血小板が少ないからなかなか止まらず、赤ちゃんの頭ぐらいのゼリー状の出血もたびたびありました。あの頃は本当に怖かったですし、もう危ないのかもと思っていましま。輸血と出血の繰り返しで血液内科ではどうしようもなかったからか、医療センターの婦人科に紹介されました。そこでも、どうしようもないとの事で大学病院の婦人科を紹介されました。そこで、命をとりとめましたドキドキ続きはその12に書きますニコニコ
私のたどってきた病歴は、もっと大変な方に比べるとたいしたことないかもしれませんが、軽度の方などが読まれると、気持ちが沈むかも知れません。ごめんなさいねあじさい
Android携帯からの投稿