高校三年の夏休みの治療からをかきます。プリモボランとシクロスポリンの治療によって、二人目の子供を出産するまで、手術以外の輸血は受けずに薬も飲まずに元気に生活できました。ヘモグロビンはずっと11グラムだいでした合格。でも、血小板は最高4万だいに増えましたがほとんど三万だいか二万だいでした。22歳頃までは小児血液内科でしたが、主治医の事情で成人の血液内科に代わりました。そして、24歳で結婚しました。主治医からは子供を出産出来ると聞いていました。血小板は、2、3万だいでしたが血小板を輸血したら大丈夫と言われていました。でも、その頃から、今まで血小板輸血を頻繁に受けてきたので同じ型のドナーさんに日赤まで来てもらっての輸血でした。そして待望の妊娠がわかり、産婦人科を紹介してもらい受診しました。初めての赤ちゃんで喜んで受診したのですが、再生不良性貧血で出産はあまりなかったみたいで、産婦人科医は、パニックを起こし、私に、育たないだの止めたほうがいいだの嫌な言葉を投げられ、ショックを受けて帰ったのを覚えていますダウン。でも、自分では絶対大丈夫と思っていたので医師の言葉は忘れ、お腹のなかの赤ちゃんが元気に育つように頑張りましたニコニコチョキ続きは、その9に書きます。



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