机の引き出しからこんにちは!

ボクはらみです(^0^)/

みなさま、夏バテは大丈夫でしょうか?


 さてさて、先日巡回のため関与先代表者の方のご自宅へお伺いした際にTVでこんな報道がされておりました。記者が高校生に昔の1万円札を見せ、この人物は誰ですか?と質問したところ、全員「厩戸皇子(ウマヤトノオウジ)」と答えるのです!誰も「聖徳太子」とは答えません。


 おそらく、私の年代以前の方は日本史の授業で聖徳太子という名を教わり、聖徳太子は実在の人物という認識が常識となっているといます。しかし、以前から「厩戸皇子」は実在しているが、「聖徳太子」は奈良時代に入ってから皇太子制度の確立のため、藤原不比等(ふひと)が厩戸をベースに理想の皇太子像として作り上げたものであり、飛鳥時代当時に存在していたものではないという説があり、ついに高校の教科書でもこちらの説を支持したということと思います。(何で皇太子制度の確立が必要であったのかは後日お話したいと思います♪


 もうちょっというと、あの一万円札に描かれている聖徳太子は、そもそも太子死後の奈良時代の服装・髪型であり、当然これを描いた人は本人を見て描いたものではなく空想で描いたにすぎないのです。このあたりからも聖徳太子が奈良時代に作り上げられた人格であることが窺えますね。


 ついでに、「厩戸皇子」という名前の由来はどこからきたのでしょうか?俗説としてイエス・キリスト同様、馬小屋で生まれたことからその父、大兄皇子(オオエノオウジ、後の用明天皇)がそう名づけたこととなっております。しかし、当時の皇子・皇女(ヒメミコ)の名前はその養育にあたった豪族の名前が充てられるのが一般的と考えられ、例えば、「中大兄皇子」というのは俗称であり、正式にはその養育にあたった葛城氏(カヅラキ氏)の名前をとり「葛城皇子」と言います。厩戸もその例にもれずその養育にあたった豪族の名前と考えられ、当時近江国に「ウマヤコ」という一族が存在したようで、その名前に由来とする説があります。また、「豊聡耳皇子(トヨトミミノオウジ)」という名前もありますが、これは彼の諡号であり存命中に呼ばれた名ではありません。


 そんなこんなで長々と書きましたが、最近色々な方から「これは常識!」という言葉を聞く際、本当にそれが常識なのかなぁ?と考えるシーンがあります。上記でいえば、我々の世代の常識は「聖徳太子」であったとしても一回下の世代の常識は「厩戸皇子」です。「常識」って難しいですね・・・


とまあこんな感じで、今回はこの辺で♪ (^0^)/



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