◇一般的に学校で教えられる「自立」
学校教育では、
👉「自立」
という言葉を、
よく使います。
自分のことは、
自分でできるようになる。
人に頼らず、
一人でできることを増やしていく。
……そういう概念です。
もちろん、
それも大切なことだと思います。
でも、
障害のある二人の息子を育ててきて、
違和感を感じるのです。
果たして…
👉「何でも自分でできること」が、本当に自立なのでしょうか
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◇とにかく不器用な末っ子(笑)
うちの末っ子は、
小さい頃から、
いろいろなことが不器用でした。
中でも、
駆け足が遅い(笑)。
幼稚園から小学校に至るまで、
徒競走では、
断トツのビリでした。
普通のビリではありません。
みんながとっくにゴールしているのに、
まだ、走っている。
それでも、
本人はまったく悪びれる様子もなく、
笑顔で一生懸命走っている。
あまりにも堂々としたビリなので、
観客席から、
温かい笑い声が聞こえてくる。
そんな子でした(笑)。
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◇ところが、クラス対抗リレーで……
小学校の頃だったと思います。
クラス対抗のリレーがありました。
しかも、
全員が走らなければならないリレーです。
当然、
うちの末っ子がいるクラスは、
かなり不利です。
ところが、
面白いことが起きました。
いつの間にか、
クラスのみんなにとって、
👉「彼の遅さを、みんなでどうカバーするか」
ということが、
一つの作戦になっていたのです。
・最初に走らせるのか
・何番目で走らせるのか
・どこで差を取り戻すのか
みんなで考えたようです。
そして、なんと……!
勝ってしまったのです![]()
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◇できないことがあっても、チームは勝てる
末っ子が、
急に速く走れるようになったわけではありません。
苦手を克服したわけでもありません。
相変わらず、
断トツに遅い……
でも、
クラスのみんなが、
それぞれの力を出した。
末っ子の苦手なところを、
みんなでカバーした。
その結果、
チームとして勝ったのです。
これで、末っ子が、
「自立していない」
というのでしょうか?
私は、
そうは思いません。
むしろ、
人間社会というものは、
本来こういうものなのではないでしょうか。
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◇エド・ロバーツが示した「自立」
障害者の自立生活運動を語るうえで、
重要な人物の一人に、
エド・ロバーツがいます。
ロバーツ自身、
ポリオによる重い障害があり、
日常生活に多くの支援を必要としていました。
彼らが切り拓いた自立生活の考え方では、
「自立」とは、
👉何でも一人でできるようになることではありません
必要な支援を受けながら、
自分の生活について、
自分で選択し、
自分で決め、
自分の人生を生きる。
そこに重点があります。
自立生活運動では、
重い障害があって介助者の力を借りていても、
その人自身が「どう生きるのか」を選択し、
生活をコントロールしているのであれば、
それは自立した生活だと考えます。
一般にとらえられている「自立」の概念とは、
違いますよね……
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◇人に助けてもらうのも立派な才能「受援力」
末っ子は、
できないことが、
結構あります。
ところが、
昔から不思議なくらい、
👉人に助けてもらうのが上手
なのです。
しかも、本人は、
それを特別なことだと思っていない。
できないことがあれば、
当然のように、
周囲の人に助けてもらう。
指示を出すことすらあります。
そして、
当たり前のように、
自分の生活を続けていく。
私は、
昔からこれを見ていて、
「これは、一つの能力だな」
と思っていました。
人の助けを得ることは、
責任感がないことではありません。
👉「受援力」
と呼ばれる、自立に必要な能力なのです。
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◇考えてみれば、経営者も同じです
これは、
障害のある人だけの話ではありません。
会社経営も、まったく同じです。
経営者が、営業も、経理も、
税務も、人事も、ITも、法律も、
すべて自分でできる必要はありません。
・自分にできないことを知る
・できる人に頼る
・必要な専門家に相談する
・従業員さんの力を借りる
そして、
みんなの力を組み合わせて、
目的を実現する。
これも、
立派な自立だと思います。
あのクラス対抗リレーで、
末っ子は、
相変わらず断トツに遅かった。
それでも、
みんなで勝ちました。
一人で速く走れなくても、
みんなの力を借りれば、ゴールにはたどり着ける。
私は、
あの日のリレーが、
「自立」というものを、
とても分かりやすく教えてくれていたように思うのです。
同時に、
末っ子は、社長向きの人材かも……
と思ったりしました![]()
苦手なことは人に任せて、ゴールを目指す。
これぞまさに、トップの器です(笑)
