◇「親なのだから」という言葉
障害のある子どもを育てていると、
時々、
👉「親なのだから」
という言葉に出会います。
子どもが何かを壊した。
誰かに迷惑をかけた。
すると、
「親なのだから責任を取ってください」
という話になる。
でも、
成人した障害者について、
その「親の責任」とは、
いったい何なのでしょうか。
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◇私も「親だから謝れ」と言われたことがあります
以前、
成人した長男が、
外出中に人を叩いたとされる出来事がありました。
(ケガは全くありませんでした)
長男には、
ヘルパーが同行していました。
その後、
長男とヘルパーが警察官に囲まれている中、
何人もの警察官が、
私の職場まで来られました。
「相手の方が、親に謝ってほしいと言っています」
という話でした。
私は、
👉「長男は成人です。同行しているヘルパーもいますので、そちらで対応してください」
とお伝えしました。
それでも、まったく収まらないので、
現場に来てほしいという話が続き、
結局、私も向かいました。
その時、
私は、何とも言えない違和感を覚えました。
👉成人した長男の行為について親である私は”何を”謝るのだろうか
・育て方なのでしょうか。
・障害のある子どもを産んだことでしょうか。
もちろん、
相手の方が不快な思いや怖い思いをされたのであれば、
家族が起こした事故について、
誠実に対応することは大切です。
しかし、それと、
「成人した本人の行為なのに、親の謝罪が必要」
ということは、
同じなのでしょうか。
「儒教パラダイム」が根付いた、
保守的な思考が強い日本社会では、
よくある問題だと思います。
この経験は、
私に「成人した障害者の親の責任」について、
改めて考えさせるきっかけになりました。
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◇法律上も「親だから責任」ではありません
民法713条では、
精神上の障害によって、
自分の行為について責任を弁識する能力を欠いていた場合、
一定の要件のもとで、
本人が損害賠償責任を負わないことを定めています。
そして民法714条は、
その場合の「監督義務者」の責任を定めています。
ここで重要なのは、
👉成人した障害者の親だからといって、当然に民法714条の法定監督義務者になるわけではない
ということです。
2016年のいわゆる「JR東海認知症事件」の最高裁判決でも、
家族というだけで責任を負わせる考え方は採られていません。
親族関係、同居の有無、
日常的な接触、財産管理への関与、
本人の状態、実際の介護の状況、
そして現実に監督することが可能だったのか。
そうした事情を総合して判断する考え方が示されています。
つまり、
「親=監督者=責任を取る人」
という単純な関係ではないのです。
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◇国も「家族が一生監督する」という制度を見直してきた
この流れは、
民法だけではありません。
かつて精神保健福祉法には、
主として家族が担っていた、
👉「保護者」
という制度がありました。
そこでは、
精神障害のある人に治療を受けさせることなど、
家族に重い義務が課されていました。
しかし、
家族の高齢化などによって、
負担が大きくなっていることなどを理由に、
👉2014年(平成26年)に「保護者制度」は廃止されました。
これは大きな意味を持っていると思います。
障害のある成人を、
👉「家族が一生責任を持って監督する人」
としてだけ捉える時代から、
👉制度そのものが変わってきている
のです。
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◇福祉サービスを利用している時間の親の責任は
たとえば、
成人した障害者が、
生活介護事業所を利用しているとします。
そこで、
パニックになって、物を壊してしまった。
すると、
「壊したので、
親御さん、弁償してください」
と言われることがあります。
でも、
👉「親だから当然に弁償」
とはなりません。
誰にどのような法的責任が生じるかは、
・本人の責任能力
・損害を受けたのが誰なのか
・誰がその場で支援・監督していたのか
・事故を予見できたのか
・支援体制や環境調整が適切だったのか
・契約関係はどうなっているのか
などによって変わります。
例えば、親が施設で行動障害をすることが予見できるのに、
施設側に、何らの情報を与えずに、
漫然と預けていた場合には、
「事実上の監督者」としての親の責任が生じます。
逆に、親が施設側に様子を事細かに伝え、
行動障害が予見できる旨も、
十分に伝えたうえで
「プロ」である事業者に預けたのであれば、
事業者の責任になります。
この関係は、自動車事故における
👉「過失責任」
で考えれば、わかりやすいと思います。
ですから、
「障害者が壊した」
↓
「親が弁償する」
という二段論法ではないのです。
「過失割合」の認定の問題なのです。
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◇成人すれば、一人の成人です
障害があっても、
成人すれば、
一人の成人です。
支援が必要なことと、
親の管理下にあることは、
まったく違います。
本人に他害などの危険があることを知っていれば、
家族は支援者に伝える。
必要な支援を行政に求める。
本人に合った環境を、
専門職と一緒に考える。
事故が起きれば、
関係者と誠実に対応する。
これは、
私も親として大切だと思っています。
しかし、
それと、
👉「親なのだから、成人した本人の行為について無条件に責任を負う」
👉「親だから謝るのが当然」
ということは別です。
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◇「親だけに背負わせない」ための福祉
親も、年を取ります。
いつまでも、親が24時間、
成人した子どもを監督することはできません。
だからこそ、
・福祉があります。
・行政があります。
・相談支援があります。
・生活介護や、居宅介護、重度訪問介護があります。
成人した障害者の生活を、
「親の責任」だけに閉じ込めないために、社会的な支援制度がある。
私は、そう考えています。
親だからこそ、できることはあります。
私も、できることは、
これからもやっていきます。
しかし、
本人には、本人の人生があります。
親には、親の人生があります。
大切なパラダイム転換は、
👉「親の責任」から、「社会で支える責任」
というものです。
成人した障害者を、
いつまでも「親に責任を取らせるべき子ども」として見るのではなく、
👉支援を受けながら社会で生きる、一人の成人として見る
まずは、
そこからではないでしょうか。
……出来れば、私も「親」です。
「親以外の誰か」が、声高にこのようなことを言ってほしいものです。
