◇カザルスホールで演奏したことがあります

今はもう無くなってしまった、
東京・御茶ノ水の
カザルスホール。

私は大学時代、
このホールで開催された
アマチュア室内楽フェスティバルに、
妻とのクラリネット二重奏で応募しました。

オーディションで選んでいただき、
妻と二人で、
カザルスホールの舞台に立って
演奏したことがあります。

今となっては、
とても懐かしい思い出です。

そして、
「カザルスホール」という名前から、
私は次第に、
パブロ・カザルスという音楽家について
知るようになりました。

その中で出会ったのが、

👉《鳥の歌》

という曲でした。

 

 



◇もともとは、カタルーニャの民謡です

《鳥の歌(El cant dels ocells)》は、
カザルスが作曲した曲ではありません。

カザルスの故郷、
スペイン・カタルーニャ地方に伝わる
古い民謡です。

もともとは、
キリストの誕生を知った鳥たちが集まり、
それぞれの声で
幼子イエスの誕生を祝う、
クリスマスの歌でした。

とても素朴な旋律です。

決して、
技巧を誇示するような曲ではありません。

しかし、
チェロで静かに奏でられるその旋律は、

何とも言えない、
深い悲しみのようなものを感じさせます。



◇カザルスにとっての『鳥の歌』

20世紀を代表するチェリスト、
パブロ・カザルスは、
フランコ独裁政権に反対し、
故郷スペインを離れて
亡命生活を送りました。

そして、
故郷カタルーニャへの思いと、
平和への願いを込めて、

《鳥の歌》を演奏するようになります。

この曲を象徴する出来事が、

1971年、
95歳になったカザルスが
国連で演奏した時のことです。

カザルスは、

👉「私はカタルーニャ人です」

と語りました。

そして、
故郷カタルーニャの鳥たちは、
空を飛びながら、

👉「Peace, Peace, Peace」

と歌うのだと語り、

《鳥の歌》を演奏しました。

 

※1971年のその時の貴重な映像です。是非ご覧ください。


小さなカタルーニャの民謡が、
カザルスの人生を通して、

👉平和を願う歌

になったのです。



◇鳥には、国境などない

私は、
この話を知った時から、
《鳥の歌》という題名そのものに、

とても惹かれています。
考えてみれば、
鳥には、
国境などありません。

人間が地図の上に引いた線など、
鳥には見えません。
 

こちら側が日本で、
向こう側が別の国だということも、
鳥には関係ありません。

ただ、
空を飛んでいく。

しかし、
人間は違います。

人間は、国家をつくりました。
そして近代には、

👉「国民国家」

という強力な仕組みをつくり上げました。

本当は…

 

👉「国民国家」は、実体の無い概念です。

 

しかし、
民主主義や法の支配、
社会保障などを実現する重要な基盤にもなりました。

その一方で、
国家が国民・経済・産業・科学技術など、
社会全体を戦争へ動員する、

👉「総力戦」

という戦争の形も生み出しました。

20世紀、人間は、
それを何度も経験しました。

そして今も、
日本では戦争が行われていませんが、
世界に目を向ければ、さまざまな場所で、
戦いが続いています。

人間は、なぜ、
これほどまでに戦うのでしょう。

鳥なら、国境もないのに。



◇私自身も、戦い続けています

そして、
自分の車の中で《鳥の歌》を聴くと、

私は、
何とも言えない気持ちになります。

私自身も、今、
さまざまなものと戦い続ける日々を
送っています。

もちろん、戦争と私の日常を、
同じものとして語るつもりはありません。

でも、
私自身の生活だけを見れば、

時々、

👉「まさに…総力戦だな」

と思うことがあります。

強度行動障害の長男の支援のための戦いは、
一つ終わったと思えば、
また次の問題がやってくる。
そんな毎日です。

だからでしょうか。
車の中で、
カザルスのチェロから流れてくる
《鳥の歌》を聴いていると、
何とも言えない、
悲しい気持ちになるのです。



◇人がつくった「境界線」の上を

人間は、
さまざまな境界線をつくります。

国と国。
組織と組織。
立場と立場。
味方と敵。

そして、
その境界を守るために、
時には争います。

でも、鳥は、
そんな境界線の上を、
何事もなかったように
飛んでいきます。

カザルスが、
95歳になって、
世界に向けて奏でた《鳥の歌》。

その音楽を、私は今、
自分のボルボの中で聴いています。

是非、
戦わなくてもよい世界を願います。