親が創った福祉事業所だからこそ、いつか手放す覚悟を~「親の想い」から「社会の公器」へ | 東京府中の税理士、金成祐行の日々の気づき

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東京府中の税理士法人かなり&パートナーズの経営や、強度行動障害の状態にある自閉症の息子との生活など悪戦苦闘ですが、日々気づいたことを書いております。

◇今日は、少々耳の痛い話をします

本日のブログは、
少々耳の痛いお話をさせていただきます。

お読みいただいて、
不快に思われる可能性がある方は、
恐れ入りますが、
ここで読むのをお控えください。



今日取り上げたいのは、
障害のある子の親御さんたちが、

中心となって設立した
 

・社会福祉法人
・一般社団法人
・NPO法人

 

などが運営する、

「障害福祉サービス事業所」

 

についてです。


私は以前から、
一つの考えを持っています。

これは、

 

障害者の親と言う当事者

そして、

これら法人を関与する「税理士」

 

この両方の立場からの考えです。



それは、
法人の運営が軌道に乗り、
安定した段階になったなら、

👉創業した親御さんは、

理事長などの経営トップから退き、

利害関係のない”第三者”へ経営を委ねることを

真剣に考えるべき。

ということです。



◇親御さんがつくったからこそ、生まれた場所がある

もちろん、
私は親御さんによる法人設立を、
否定しているのではありません。

むしろ逆です。

「この子が安心して暮らせる場所をつくりたい」
「同じように困っている子の居場所をつくりたい」


その一心で、
何もないところから事業所を立ち上げる。
行政との手続きを行い、
人を集め、
資金を集め、
事業を軌道に乗せる。

これは、
並大抵のことではありません。

👉その情熱と行動力には、心から敬意を持っています。

その人たちが動かなければ、
生まれなかった福祉サービスも、
たくさんあったはずです。



◇しかし、創業と経営は違う

問題は、
その次です。
創業期には、
創業者の強烈な想いが必要です。

しかし、
法人が安定期に入った後まで、
同じ経営原理ではいけません。


なぜなら、

指定障害福祉サービスは、
単なる「親御さんたちの助け合い」ではないからです。


公費(税金)が投入され、
法律や指定基準に基づいて提供される、
極めて公共性の高い事業です。


そこでは、

👉「私たちは善意でやっています」

だけでは済みません。

・障害者総合支援法などの法律
・指定基準
・契約

そして、

・利用する一人ひとりの権利

 


法人が成熟すればするほど、
これらに基づく経営へと、
移行していく必要があると思います。



◇「親の情」が、判断基準になってしまう危うさ

私がこれまで、
親御さんたちが設立した法人と関わる中で、
危うさを感じることがあります。

それは、
法律や指定基準よりも、

👉「親が子を想う情」

や、

👉「内輪の善意」

が判断基準になってしまうことです。


もちろん、
悪意があるわけではありません。

むしろ、
善意だからこそ難しい。

「みんなのために」
「利用者のために」
「この施設を守るために」

そう考えているうちに、

いつの間にか、
客観的な基準ではなく、

自分たちの、

”独特の”価値観で物事を判断するようになる。

私は、ここに、

親が設立した法人の、

大きなリスクがあると思っています。



◇法律や指定基準は「冷たいルール」ではない

法律や指定基準というと、
「お役所が決めた細かいルール」
のように思われることがあります。

しかし、
私はまったく逆だと思っています。


法律や指定基準、
そして契約関係を守ることは、

👉利用者の権利を守るための防波堤なのです

特に、
・より重度の障害がある方
・強度行動障害の状態にある方
・医療的ケアを必要とする方
・支援が難しく手間がかかる方


そういう方ほど、
客観的なルールによって守られる必要があります。

「みんながそう思っているから」
「これまでこうしてきたから」

ではなく、

👉「法律と基準」

に立ち返る。

その仕組みがあるからこそ、
多数派とは異なるニーズを持つ人の権利も、
守ることができるのだと思います。




◇「特別扱い」に見えてしまう危険

例えば、
非常に手厚い支援を必要とする方がいるとします。

当然、その人には、
その人に必要な支援を提供しなければなりません。

ところが、

親が設立した事業所にありがちな…

「みんな同じように」

「平等に」

という感覚が強い組織では、

それが、

👉「特別扱い」

と見えてしまうことがあります。


でも、
必要な支援内容が違う人に、
同じ支援しか提供しないことが、
本当に「公平」なのでしょうか。

私は違うと思います。


同じように扱うことと、

「公平」に扱うことは違います。

必要な人に、
必要な支援を提供する。

それこそが、

「公平」であり、
障害福祉だと思います。


ところが、
組織内部の「平穏」が優先されると、
手厚い支援を必要とする人が、

・「大変な人」
・「周囲に迷惑をかける人」

として扱われ、最悪の場合、

👉支援の場から排除される

そんな本末転倒なことさえ、
何度も目にしてきました。



◇我が子のためにつくった場所を「社会の公器」へ

だからこそ、
私は思うのです。

親が我が子を想う気持ちは、
かけがえのないものです。
その愛情があったからこそ、
生まれた法人もある。

しかし、
法人が成熟したなら、
その次の段階がある。

👉我が子のためにつくった場所を「社会の公器」にしていく

これは、
決して我が子を見捨てるという意味ではありません。
 

むしろ、
その逆です。
 

創業者の子どもであっても、
後から利用を始めた人であっても、
障害が軽い人であっても、
非常に重い支援を必要とする人であっても、

同じ法律、
同じ指定基準、
同じ権利保障のもとで支援される。

そんな法人へと、
成長させるということです。



◇「私たちの法人」から「社会の公器」へ

私は、
創業者が最後まで経営権を握り続けることだけが、
法人への責任の取り方ではないと思います。

適切な時期に、

理事長を退任し、
利害関係のない方を理事長に招聘し、
客観的なガバナンスへ移行する。

様々な想いがある親御さんが、

いらっしゃるでしょうから、
決して簡単なことではありません。

 

ただ、それもまた、
創業者にしかできない、
大切な仕事ではないでしょうか。


創業する勇気
育てる責任

そして、

👉手放す覚悟

この三つが揃って初めて、
親御さんの想いから生まれた場所が、
本当の意味で、

👉「社会の公器」

になっていくのではないか。

私は、
そう考えています。

 

親の愛情から始まった福祉だからこそ、
最後は、親の愛情だけに左右されない仕組みを残す。


それが、
どんなに重い障害を持つ人であっても、
安心して利用できる福祉を、
次の世代へ残していくことにつながるのではないでしょうか。