「天地一切と和解せよ」 ~理不尽には毅然と、それでも人を憎まない~ | 東京府中の税理士、金成祐行の日々の気づき

東京府中の税理士、金成祐行の日々の気づき

東京府中の税理士法人かなり&パートナーズの経営や、強度行動障害の状態にある自閉症の息子との生活など悪戦苦闘ですが、日々気づいたことを書いております。


◇皆さんに「絶対に許せない人」はいますか?

この年齢まで生きてくると、

それはそれは、いろいろなことがあります。

・「ここでやるか……」と思うような裏切り
・約束を平気で反故にされる
・証拠によって示されている事実を、それでも認めない
・都合の悪いことを隠蔽される
・理不尽な暴言を受ける

仕事をしていても、

プライベートでも、

👉「どうして、そんなことができるのだろう?」

と思うような人に出会うことがあります。

私自身も、

何度となく経験してきました。


皆さんも、

そうではありませんか?


しかし…

実は、私は、

「絶対に許せない人」

はいないのです。

自信を持って言えます。



◇「罪を憎んで人を憎まず」

少し使い古された言葉かもしれませんが、

👉「罪を憎んで人を憎まず」

という言葉があります。
私は、この考え方を大切にしています。

もちろん、
裏切りを容認するわけではありません。
嘘を許すわけでもありません。
違法なことを見逃すわけでもありません。

理不尽なことには、
毅然として対応します。

必要であれば、

👉「それは間違っています」

と忖度せずに、

はっきり言います。

しかし、

その人の行為を許さないことと、

その人そのものを憎むことは別のこと
だと思うのです。



◇なぜ、その人はそんな行動をするのだろう

最近、

私はこんなふうに考えることがあります。

ある人が、

これらの問題行動をすることがあります。

もちろん、中には、

明確な「悪意」で行動する人もいるでしょう。


しかし、多くの場合、その背景には、

・不安
・恐怖
・自身の無さ

・承認欲求の強さ
・自分を守りたいという焦り
・傷ついた自己肯定感

などがあるのではないでしょうか。


追い詰められた人間が、

「困って」しまって、

自分を守るために、

不適切な行動を繰り返してしまう。

このような状態を、
私は時折、

👉健常者の「強度行動障害の状態」

のように感じてしまうことがあります。
 

※私自身、日々強度行動障害の状態にある長男を支援している立場から、

「強度行動障害」という行政用語を、

あえて、比喩的に使わせていただいています。



◇憎むことによって、一番傷つくのは誰か

相手から理不尽なことをされた。

すると、
腹が立ちます。

ムキー「あいつだけは絶対に許せない」

と思う。
それ自体は、

人間として自然な感情なのでしょう。

もちろん、私にもあります。


しかし、

その感情を何年も自分の中に抱えていたら、
一番影響を受けるのは誰でしょう。

おそらく、
自分自身です。

相手が目の前にいなくても、
思い出した瞬間に怒りが蘇る。

その人が、

自分の心の中に住み続けてしまいます。

それは、

あまりにももったいないのではないでしょうか。



◇田坂広志先生から教わったこと

私の大学院時代の指導教授である田坂広志先生から、

心に残ることを教わりました。

先生が大切にされている考え方の一つが、

👉「感謝は、すべてを癒す」

というものです。

トラブルが起きて、
相手への怒りや批判的な感情が湧いてきたとき、

あえて心の中で、

その相手に対し、

👉「ありがとうございます」

と唱える。

例えば相手が田中さんなら、

👉「田中さん、ありがとうございます」

と心の中で唱える。

先生自身、

その「和解」を「修行」として実践されていると伺いました。



◇面と向かって和解する必要はない

心の中で「和解」することと、

現実の問題を曖昧にすることは、

まったく違います。


相手が違法なことをしているなら、
必要な対応をする。

誰かの権利が侵害されているなら、
それを止める。

事実と違うことを言っているなら、
証拠を示して訂正を求める。

必要なら司法や行政の手続きを利用して戦う。
そこに遠慮はいりません。

 

仮に、戦国時代なら、

馬に乗って攻め込むのでしょう。



しかし、それと同時に、
心の中では、

👉「この人を憎むことはやめよう」

と決めることはできます。

本人と握手する必要もありません。
仲良くなる必要もありません。
無理に許す必要すらないと思います。

行為には毅然と向き合う。

しかし、人への憎しみは自分の中に残さない。



◇「天地一切と和解せよ」

田坂先生が紹介されていたある宗教人の言葉に、

👉「天地一切と和解せよ」

というものがあります。

👉「天地一切と和解するとき、天地の万物、何物も汝を害することは出来ぬ」

 

と続きます。

 

 

すべてと和解する。


これは、何をされても我慢しなさい、
という意味ではないと私は理解しています。

むしろ、
現実には毅然と向き合いながら、


👉「天地一切と和解する」
 

ということなのではないでしょうか。


もちろん、
私も、まだまだ修行中です。

それでも、
「絶対に許せない人」
を心の中につくらない。


罪を憎んで、人を憎まず。
現実には毅然と。
心の中では和解する。
感謝する。

恩師、田坂先生から教わったこの姿勢を、
これからも大切にしていきたいと、

思っています。

 

田坂先生、

ありがとうございます。