私は、最近の”ある事件”を見て、

改めて、

子どもの成長のためには、

厳しく叱り、躾けることが

必要なのか?


ということを考えています。



世の中には、
今でも、

👉 「厳しく育てないとダメになる」
👉 「叱られて人は成長する」
👉 「親ならばきちんと躾ける責任がある」

という考え方があります。

この事件に関する報道の街頭インタビューでは、

まだまだ、この考え方を擁護する方々が多くて驚きます。


しかし、
発達心理学や脳科学の分野では、

近年、

👉 「叱ること自体が成長に有用である」

という強いエビデンス(科学的根拠)は

 

👉「実はあまり無い」と言われています。

 

 



◇「恐怖」で脳はどのように動くのか

強く叱責されると、
子どもの脳は、

👉 「学習モード」

ではなく、

👉 「恐怖・防衛モード」

に入ることが分かっています。

すると、

・ 萎縮する
・ 顔色をうかがう
・ 嘘をつく
・ 挑戦を避ける
・ 自己肯定感が下がる

という方向へ行きやすくなります。

つまり、

👉 「理解して成長する」

のではなく、

👉 「怒られないようにする」

ようになってしまうのです。



◇私が大切だと思うこと

私は、
子どもに対して、

👉 静かな声で
👉 本人のことを思いながら
👉 しっかり諭す

ことが必要なのだと思っています。

・危険なこと
・他者を傷つけること
・社会のルール

それを、
落ち着いた声で、
丁寧に伝える。

大声は必要ない。

ましてや「鉄拳制裁」は全く必要ない。

それが、
本来の教育や支援なのではないでしょうか。

👉「愛の鞭」はファンタジー(幻想)

 

だと思っています。



◇「諭す」と「怒鳴る」は違う

諭すというのは、

👉 「あなたを大切に思っている」

という土台の上で、

👉 「だから伝える」

という関わりです。

例え、厳しい口調であっても、
そこには、
相手への尊重があります。


一方、感情的な叱責は、
時に、

👉 相手をコントロールするための行為

になってしまうことがあります。



◇ましてや「手を出す」など論外

そして、私は、

👉 手を出すこと(体罰・暴力)

は、もってのほかだと思っています。

これは、教育でも、リーダーシップでも、

経営でも、支援でもありません。

単なる恐怖による支配です。

特に、
自閉スペクトラム症の方々は、
身体的・心理的な恐怖体験を、
非常に強く記憶することがあります。

そして、
その記憶が、長い年月、
フラッシュバックし続ける。

結果として、

👉 不安が増大し
👉 行動障害が悪化し
👉 社会参加が難しくなる

という悪循環に陥ることがあります。

・「ちょっと叩いただけ」
・「少し強く押さえただけ」

支援側はそう思っていても、
本人にとっては、
人生を変えてしまうほどの恐怖体験になることがあるのです。



◇強度行動障害支援の中心は「安心」

だからこそ、
現在の強度行動障害支援は、
専門的知見が積み重なり、

👉 「叱って直す」

ではなく、

👉 「安心できる環境を整える」

方向へ大きく変わっています。

・ 環境調整
・ 構造化
・アセスメント
・本人理解
・コミュニケーション支援

これらを通じて、不安を減らし、
安心を増やす。

それが、
専門的支援なのです。



◇社会に問い直したい

私は、このことを、
もう一度社会に問い直したいと思っています。

本当に、
「厳しく叱ること」は必要なのか。

「厳しく躾けること」は必要なのか。

本当に、
「恐怖」は人を育てるのか。

もちろん、
甘やかしとは違います。

境界線は必要です。

しかし、その境界線は、

「恐怖」ではなく、
「安心と信頼」

の中にこそ、あるのではないでしょうか。



◇安心できる場所でこそ成長する

人は、安心できる環境でこそ、
挑戦できます。

失敗し、学び、修正し、
また前へ進める。

私は、それが、
本当の意味での「成長」だと思っています。


本人にとって適切な「環境」を整え、

静かな声で、相手を思いながら、
しっかり諭す。

そして、決して、
恐怖や暴力に頼らない。

そんな社会になってほしいと、
心から願っています。