知的障害で

強度行動障害の状態にある

30歳の長男と末っ子を連れて、

石和温泉に一泊旅行に来ました。
 

我が家ではこの組み合わせを、

昔から「Bチーム」と呼んでいますウインク

 

家族の中でも、

折り合いの良いチームだからです。



昨年までは

秋田の「田沢湖」に行っていたのですが、

愛用していたホテルの経営体が変わったようで、

食事などの配慮をお願いすることが難しくなり、

今年から車で行きやすい

石和温泉にしました。


今回のホテルは、

TKCの企業防衛特別研修会(いわゆるマルトク)で、

毎年地域会が利用している馴染みのあるホテルです。


長男は魚介が苦手なのですが、

とても丁寧に配慮してくださり、

食事も大満足。
 

温泉も素晴らしく、

「やっぱりいいな~」と思っていた、

その時のことです。



◇露天風呂の外国人客

露天風呂には、

先に、外国人の親子が入っていました。

お子さんが、

ハンドタオルを

バシャバシャと温泉に入れたり出したり

放り投げたりして遊んでいます。


親御さんも、

いわゆる日本の「温泉マナー」を知らないようで、

特に止める様子はありません。

さて・・・

 



普通なら――
「迷惑だな」と感じる場面かもしれません。

 

厳しい方だと、

注意するのではないでしょうか

 

 


でも・・・

その時、私の中に浮かんだのは、

まったく逆の感情でした。


「ああ、これで、うちの子が多少声を出しても、

 大丈夫だな。安心だな。」ニコニコ


・・・と。

長男が、

奇声をあげても、

独り言を大きな声で言っても、

多少うろうろしても、

物を叩いて音を立てても――
 

 

「許される空気」がそこにある、と感じたのです。


その瞬間、私はとても安どしました。
「ホッと」して、ゆっくり、

長男と共に露天風呂を楽しめました。




◇「愚行権」という概念

「愚行権」(ぐこうけん)という考え方があります。

ジョン・スチュアート・ミルが、

1859年に『自由論』で示した考え方で、


人は、他人に重大な危害を与えない限り、
たとえ愚かな選択であっても、

それを行う自由がある――


というものです。

いわば、

・失敗する自由
・損をする自由
・少し「はみ出す」自由

これらを含めて、

人間の尊厳だという考え方です。

 

例えば、

 

・ギャンブルで大損をする
・酔っぱらって周りに絡む
・仕事や勉強をさぼる

 

等々




◇知的障害者と「愚行権」

しかし、知的障害のある人、

特に強度行動障害の状態にある人にとって、
この「愚行権」は、

ほとんど認められていないように感じます。


奇声をあげること
独り言を言うこと
うろうろすること
物を叩いて音を出すこと
突発的に動くこと


これらはすべて、
一般の方々からすれば、

「迷惑だからやめさせるべき行為」

として扱われがちです。


その結果、

知的障害者の家族は、

「常に完璧に振る舞わなければならない」

という、無言の圧力の中に

置かれているように感じるのです。

 

◇人は必ず「迷惑」をかけながら生きている

でも、人間は本来、

そんなに整った存在ではありません。

誰もが少しずつ、

はみ出しながら生きています。

その「はみ出し」を、どこまで許容できるか。
それが、その社会の成熟度なのだと思います。


あの温泉では、

外国人親子の「小さな逸脱」が、
空間全体の許容度を少しだけ広げていました。


その結果、

「多少の迷惑はいいじゃないか」

という、やわらかな空気が生まれていたのです。



私は、その空気の中で、

長男が「特別扱いされずに存在できる感覚」を得ました。

これは、

「障害があるから許してほしい」

 

という話ではありません。


そうではなく、


人は本来、誰でも、

少しずつ迷惑をかけながら生きている存在

 


という前提に立てたとき、
初めて見えてくる世界です。



◇少しずつ迷惑をかけあう社会を目指して


あの夜の露天風呂は、

とても包容力のある空間でした。

そして私は、
その中で、

とても豊かで、

落ち着いた気持ちになりました。


「迷惑をかけない社会」は、息苦しい。
「少しずつ迷惑を許し合う社会」は、やさしい。



そして願わくば――

障害のある人だけでなく、
すべての人にとって、

「少しはみ出しても大丈夫な社会」

 

であってほしいと思います。