無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番
その終曲である「シャコンヌ」は、
ヴァイオリン一本で、
悲しみも、祈りも、怒りも、
そして、かすかな希望までも描き切ってしまう曲です。
1717年から1720年頃、
バッハがケーテン時代にまとめたこの作品は、
一つの楽器だけで、
まるで世界そのものを創造してしまうような密度を持っています。
だからこそ、
後の時代にオーケストラ版、
そして吹奏楽版へと編曲され、
何度も演奏され続けてきたのだと思います。
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■2015年、名古屋で聴いた「シャコンヌ」
この《シャコンヌ》は、
母校・磐城高校吹奏楽部が、
2015年に全日本吹奏楽コンクールで、
金賞を受賞した自由曲でもあります。
あの頃は、
東日本大震災、そして原発事故の影響が、
まだまだ癒えない時期でした。
当時の音楽監督の故根本直人先生は、
この曲に、
ふるさと福島県いわき市への想いを込めて、
編曲されました。
それは、
津波で亡くなった、
大勢のいわき市民へのレクイエムであり、
同時に、
失われてしまった日常への、
郷愁をたたえた音楽でした。
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■悲しみの中に、ただ一か所だけある、穏やかな「春」
《シャコンヌ》は、
全体としては、重く、厳しく、
深い悲しみに満ちた曲です。
けれども、良く聴くと、
その後半に、
たった一か所だけ、
ふっと風が緩むような、
春の気配を感じさせる部分があります。
その旋律を聴くと、
私はいつも、
母校の「ハニワ倉庫」横の、
桜の木の下での、
クラリネットのパート練習を思い出します。
震災も、
放射線も、
まだ何もなかった頃の、
穏やかな、温かい、いわきの風景。
音楽が、
時間を超えて、
一瞬でそこに連れ戻してしまうことがある。
それを、あの時、強く感じました。
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■無伴奏という「原点」
もともとこの曲は、
バッハがヴァイオリン一本で書いた音楽です。
誰にも支えられず、
和声も、リズムも、旋律も、
すべてを一人で背負う。
だからこそ、
吹奏楽という大編成で演奏されたとき、
その重みは、
「個人の祈り」から
「共同体の記憶」へと昇華するのだと思います。
2015年のあの演奏は、
まさに、
福島という土地が抱えた記憶を、
音楽として、聴衆全員で、
共有する時間でした。
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■音楽は、記憶を保存する
私はその演奏を、名古屋の会場で聴きました。
あの頃、
人生の中で、とても大切な方との出会いもあり、
その時間は、
今でも鮮明に思い出せます。
音楽は、記憶を、
今も生きているものとして保存してくれる。
故根本直人先生は、当時、電話で、
「この演奏も、すぐ”セピア色”になるからね・・・」
と仰っていました。
でも、バッハの《シャコンヌ》は、
私にとって、
ふるさとと、時間と、
そして人とのつながりを
確かに、今もなお、思い出させてくれる音楽です。
