今日は、全知P連(全国特別支援学校特別支援学校PTA連合会)の
都道府県代表者会議に参加してきました。

全国から集まる皆さんの熱量に触れると、
「特別支援教育って、やっぱり時代の大きなテーマだなぁ」と
改めて感じます。

そして、全知P連が持つ普遍的なテーマの一つに、

文科省も推進している「インクルーシブ教育システム」があります。



インクルーシブ教育って、“ただ単に”通常級に入れればOKではありません
このような単純化した理解がまだまだ根強いのですが……

それでは、本来の意味からズレてしまいます。

そして、むしろこの誤解は、
「だから分離教育が必要なんだ」という主張にも
つながりかねません。

インクルーシブの本質は、“配置”ではなく、“環境”なんです。



例えば、イタリアでは40年以上前から
障害児の分離教育(特別支援学校)を廃止し、
通常学級の中で全ての子を支える
“フルインクルーシブ教育”を実践しているそうです。

ですが、誤解してはいけないのは、

イタリアだって
「ただ単に」通常級に入れるだけではありません。

・複数の専門教師
・合理的配慮を前提としたカリキュラム
・教室環境の徹底的な工夫
・学習内容の柔軟な個別化

つまり、学校側が環境を変えることで、子どもを排除しない構造をつくっている のです。

これこそが、「インクルージョン」。
SDGsにもうたわれている、この「インクルージョン」は、

”社会モデル”が理解できなければ、全くわからない概念です。



日本はどうかというと……まだまだ“個人モデル”が根強い状況だと思います。

日本の学校では、

「行動が落ち着かないなら努力させよう」
「みんなと同じように頑張らせよう」

と、子ども自身に、合わせさせる文化 、
「子どもが変わるべき」という観念が、

が、まだ強く残っています。

私の次男・三男も、
初等中等教育の公立学校で、排除の論理を何度も経験しました。

特に三男は論理的思考が高いので、
学校の不合理と正面から闘ってきましたが…

次男はただただ苦しかったのではないかと思います。



本当に必要なのは、子供たちを中心に据えた、“合理的配慮×環境調整”です。

インクルーシブ教育は、障害児のためだけの仕組みではありません。

障害のあるなしにかかわらず、全ての子どもが、
ありのままの自分のまま、クラスに居場所があること。

そのために、

・授業の工夫
・環境の工夫
・関わり方の工夫

学校側が変わる必要があります。

個人の努力ではなく、
学校の側が変わる”社会モデル”の思想 こそ大切なのです。


 

インクルージョンは、誰かを特別扱いすることではなく、
誰も排除しないという文化をつくること。

その文化をつくるのは、
制度でも、法律でもなく、
そこで出会う “大人たちの姿勢” だと思います。

 

大人になって、染みついた概念を、大きく変えるのは大変でしょうけど、

これからの子供たちのために、私たちが、理性の力で変わらなければなりません。

特別支援学校のPTAのみならず、通常校のPTAでも、声を上げていきましょう。
PTAの役割は、まだまだ大きいのです。

私も、障害のある長男を育てる親として、
また全知P連顧問の立場として、
そして一人の市民として——

これからも声をあげていきたいと思います。