自閉スペクトラム症(ASD)の「こだわり」。

それは、時に周囲から“理解しがたい行動”として見られることがあります。

けれど、私には、それが長男にとって「生きるための知恵」 だと感じられるのです。



🧩 うちの長男の“こだわり”の世界

うちのASDの長男には、常人では想像できないほどのこだわりがあります。

たとえば――
幼稚園から特別支援学校、その後の障害福祉サービス事業所まで、
先生や同級生、関わった支援員さんの名前と在籍期間を日単位で、正確に記憶しています。

顔も、声も、その時の表情も、発言の内容まで正確に覚えており、
しかもそれをすぐに似顔絵として再現できてしまうのです。

驚くべきことに、彼にとってそれは“特別な能力”というより、
「生きるために必要な記憶」 なのだと思います。



💭 トラウマが刻んだ“人へのこだわり”

卒業後、社会福祉法人において受けた被虐体験――。
そのときに言われた言葉、声のトーン、支援員の表情までも、
一言一句、鮮明に記憶しています。

それは彼が、再び同じことを経験しないようにと、
自分の心を守るために身につけた、
究極の自己防衛 なのだと思います。

だからこそ、今現在、関わる支援者の方には、
「何気ない言葉の一つひとつが、彼の記憶に刻まれる」

ということを理解してもらいたいのです。

たとえ、たわいもない一言であっても、
彼にとっては一生消えない記憶になることがあるのです。



🌱 「困った人」ではなく、「困っている人」として

それでも長男は、人を許すような性格を持っています。
たとえ支援員が、少し支援の方針や、発言を間違えたとしても、
彼はその人を責めることなく、受け入れようとします。

だからこそ思うのです。

支援者が持つべきなのは、
「この人は困った人だ」ではなく、
「この人は困っている人なんだ」という視点です。

ほんの少しの見方の違いが、
彼らの行動障害の強度を左右し、

人生を大きく変えるのだと思います。



ASDの「こだわり」は、決して厄介なものではありません。
それは、生きづらい社会の中で必死に自分を守るための「盾」であり、
同時に、彼らが世界と関わるための「羅針盤」でもあります。

支援とは、こだわりを抑えることではなく、
こだわりの意味を理解し、尊重すること。

今日も私は、長男からその大切なことを教わっています。