私は税理士試験の受験期間を通じて、ゼネラル石油に勤務していたのですが、
試験勉強に理解のある方ばかりではありませんでした。
何度か、数人の先輩に呼び出され、
「試験なんかやめてしまえ!」
「おまえは結局、自分の好きなことしかできないんだよ!」
などと怒鳴られ、泣きながら帰ったこともしばしばでした。
勉強のため、土日のレクリエーションを断ると、
とても厳しいお言葉をいただくこともありました。
この頃は、まだ、あくまで経理マンとして、会社の業務に役立つようにと、
税理士試験に取り組んでいただけに、非常に悲しい思いをしたものです。
しかし、会社には、どちらかといえば、理解をしてくださる方の方が多く、
普段あまり親交の無い先輩から受けた、
「これからはスペシャリストの時代だよ。
金成のやっていることは正しいと思うから頑張って」
という一言がとても嬉しく未だに覚えています。
ゼネラル石油での仕事は、一生懸命やりました。
当時、「ロータス123」というソフトが表計算ソフトのメインでしたが、
このソフトの使い方を習って、ゼネラル石油の全国のセールスマンが旅費を精算するための
シートを作成し、全国に配布することになりました。
このシステムは、聞くところによると、つい最近まで使われていたとのことでした。
また、会社がガソリンスタンドや製油所の設備等の注文をする際の、
「注文書照合システム」の担当を任され、システムの構築から運用まで、
一手に引き受けて行っていました。
支店の支払伝票のチェック担当も、数多くこなし、
何社かの100%子会社の経理・決算も1から10まで、一人で行っていました。
ゼネラル石油自体の決算がある5月は、朝から晩まで会社に詰めて残業。
みんなで近くのラーメン屋さんから出前を取って食べて・・・
おいしかったなぁ。
仕事も充実の日々でした。
そんな中、次の年は、「簿記論」と「国税徴収法」の2科目を受験
この2科目も、いつものペースで勉強をし、
模擬試験でも常に上位をキープ。「簿記論」では、10位以内成績上位者として、
名前が出たこともありました。
本試験は、猛烈な暑さに苦しめられながらも、2科目とも、何とか合格。
この年の簿記論の試験問題は、大原簿記学校の先生が5名、
1週間かけてやっと解けたという難問中の難問。
私は、100満点中、25点だったが、平均点が17~8点だったらしく、
不合格だと思っていたものが、合格!
これで、税理士試験は5科目中、4科目合格でリーチ。
次年度は「法人税」を受験することを決め、今回のみ、土曜日に通学することにした。
というのも、「法人税」は「所得税」と並んで、税理士試験の難関。
それこそ、何年も受験を繰り返しているベテランが一番多い科目。
1年で受かることは極めて難しいといわれている科目。
そして、今までの科目と違い、仕事には直接は関係のない科目。
だから、私は仕事をしながら、ゆっくりのんびりと法人税に取り組もうと考えていた。
そんな年の11月。
福島でタクシー会社を経営している父が肺ガンに冒されているという連絡。
余命は1年と言われていたが、進行が早く、翌1月に逝去した。
タクシー会社は、父のワンマン企業であったので、早急に跡継ぎを決めなければならない。
税理士の先生と相談をし、私の年齢が24歳と若いので、母が社長となり、
私は母をサポートするために、ゼネラル石油を退職する、という結論となった。
のんびりと構えていた「法人税」の受験も、いわきに帰る可能性を考えると、
今年中に終わらせなければならない。
そう思った私は再度ピッチを上げて勉強を始めた。
しかし、簿記や財表と違い、どうしても模擬試験の上位にいけない。
模擬試験には、1年目の受験生が勉強する「一般クラス」でやっていない内容が平気で出る。
やはり上級クラス有利、ベテラン有利の科目。
父の葬儀から始まり、一刻の猶予もならないタクシー会社の給与計算等のサポートで、
いわきに帰ることもしばしば。
悩ましい日々が続く。
この期間に出会った、TAC出版から出されていた、
税理士野本明伯先生の本に衝撃を受ける。
いわき出身で、磐城高校→早稲田大学商学部と、私と経歴がうり二つ。
全く0から税理士事務所を開業して、現在ではいわき№1の事務所になっているという。
http://www.nmc-van.co.jp/zeirisi/profile.html
本には実にユニークな中小企業を支援するためのツールなどが紹介されていた、
この頃、以前はほとんど考えていなかった「開業」を考え始めたのである。
この開業したらこうしよう、こういう事務所をつくろう、といった、
「開業」へのモチベーションが、苦戦を続ける「法人税」の勉強に力をくれたのである。
「法人税」の受験も本番間近。
ついに、合格圏内まで順位を上げ、
最後の追い込みの時にお世話になったゼネラル石油を去った。
当初、家をサポートする目的で退職を決めたのに、
母も一人で会社経営ができるようになってきており、
野本先生の本の影響もあり、全く心境が異なってきていた。
そして本試験。
試験委員の一人が、私が消費税を受験したときの方・・・だったように記憶しており、
その際、「手続規定」を出題されていたことを覚えていた。
よって、大原簿記学校ではBランクの理論だった「手続規定」を自分ではAランクに設定し、
理論を読み込んでいた。
結果、出題は「事業年度について述べよ」
何度も何度も覚えた、私にとって特Aの理論。
問題用紙は机におかれると透けて見えるので、開く前に出題はわかり、
試験前にガッツポーズ。
大原でBランクなら、半分の人間は書けない。
たとえ書けたとしても、私は全くマーク外の応用理論まで書ける。
もらった!と思った。
もう一問の理論も完璧。
計算はまぁまぁ。
幾重もの幸運に恵まれ、私は、この年の12月、
税理士試験に合格することができた。
結局、大学時代に1科目失敗しているものの、
本格的に勉強を開始してからの成績は、5勝0敗。
期間は3年と5ヶ月(消費税施行当初のため)
当時、朝から晩まで、生活の一切を犠牲にして、
それこそ、目から血が出る位勉強をして、結果を出すことができたことは、
大きな自信となり、これからの税理士生活に、
誇りを持って進むことができるきっかけとなったのである。
試験勉強に理解のある方ばかりではありませんでした。
何度か、数人の先輩に呼び出され、
「試験なんかやめてしまえ!」
「おまえは結局、自分の好きなことしかできないんだよ!」
などと怒鳴られ、泣きながら帰ったこともしばしばでした。
勉強のため、土日のレクリエーションを断ると、
とても厳しいお言葉をいただくこともありました。
この頃は、まだ、あくまで経理マンとして、会社の業務に役立つようにと、
税理士試験に取り組んでいただけに、非常に悲しい思いをしたものです。
しかし、会社には、どちらかといえば、理解をしてくださる方の方が多く、
普段あまり親交の無い先輩から受けた、
「これからはスペシャリストの時代だよ。
金成のやっていることは正しいと思うから頑張って」
という一言がとても嬉しく未だに覚えています。
ゼネラル石油での仕事は、一生懸命やりました。
当時、「ロータス123」というソフトが表計算ソフトのメインでしたが、
このソフトの使い方を習って、ゼネラル石油の全国のセールスマンが旅費を精算するための
シートを作成し、全国に配布することになりました。
このシステムは、聞くところによると、つい最近まで使われていたとのことでした。
また、会社がガソリンスタンドや製油所の設備等の注文をする際の、
「注文書照合システム」の担当を任され、システムの構築から運用まで、
一手に引き受けて行っていました。
支店の支払伝票のチェック担当も、数多くこなし、
何社かの100%子会社の経理・決算も1から10まで、一人で行っていました。
ゼネラル石油自体の決算がある5月は、朝から晩まで会社に詰めて残業。
みんなで近くのラーメン屋さんから出前を取って食べて・・・
おいしかったなぁ。
仕事も充実の日々でした。
そんな中、次の年は、「簿記論」と「国税徴収法」の2科目を受験
この2科目も、いつものペースで勉強をし、
模擬試験でも常に上位をキープ。「簿記論」では、10位以内成績上位者として、
名前が出たこともありました。
本試験は、猛烈な暑さに苦しめられながらも、2科目とも、何とか合格。
この年の簿記論の試験問題は、大原簿記学校の先生が5名、
1週間かけてやっと解けたという難問中の難問。
私は、100満点中、25点だったが、平均点が17~8点だったらしく、
不合格だと思っていたものが、合格!
これで、税理士試験は5科目中、4科目合格でリーチ。
次年度は「法人税」を受験することを決め、今回のみ、土曜日に通学することにした。
というのも、「法人税」は「所得税」と並んで、税理士試験の難関。
それこそ、何年も受験を繰り返しているベテランが一番多い科目。
1年で受かることは極めて難しいといわれている科目。
そして、今までの科目と違い、仕事には直接は関係のない科目。
だから、私は仕事をしながら、ゆっくりのんびりと法人税に取り組もうと考えていた。
そんな年の11月。
福島でタクシー会社を経営している父が肺ガンに冒されているという連絡。
余命は1年と言われていたが、進行が早く、翌1月に逝去した。
タクシー会社は、父のワンマン企業であったので、早急に跡継ぎを決めなければならない。
税理士の先生と相談をし、私の年齢が24歳と若いので、母が社長となり、
私は母をサポートするために、ゼネラル石油を退職する、という結論となった。
のんびりと構えていた「法人税」の受験も、いわきに帰る可能性を考えると、
今年中に終わらせなければならない。
そう思った私は再度ピッチを上げて勉強を始めた。
しかし、簿記や財表と違い、どうしても模擬試験の上位にいけない。
模擬試験には、1年目の受験生が勉強する「一般クラス」でやっていない内容が平気で出る。
やはり上級クラス有利、ベテラン有利の科目。
父の葬儀から始まり、一刻の猶予もならないタクシー会社の給与計算等のサポートで、
いわきに帰ることもしばしば。
悩ましい日々が続く。
この期間に出会った、TAC出版から出されていた、
税理士野本明伯先生の本に衝撃を受ける。
いわき出身で、磐城高校→早稲田大学商学部と、私と経歴がうり二つ。
全く0から税理士事務所を開業して、現在ではいわき№1の事務所になっているという。
http://www.nmc-van.co.jp/zeirisi/profile.html
本には実にユニークな中小企業を支援するためのツールなどが紹介されていた、
この頃、以前はほとんど考えていなかった「開業」を考え始めたのである。
この開業したらこうしよう、こういう事務所をつくろう、といった、
「開業」へのモチベーションが、苦戦を続ける「法人税」の勉強に力をくれたのである。
「法人税」の受験も本番間近。
ついに、合格圏内まで順位を上げ、
最後の追い込みの時にお世話になったゼネラル石油を去った。
当初、家をサポートする目的で退職を決めたのに、
母も一人で会社経営ができるようになってきており、
野本先生の本の影響もあり、全く心境が異なってきていた。
そして本試験。
試験委員の一人が、私が消費税を受験したときの方・・・だったように記憶しており、
その際、「手続規定」を出題されていたことを覚えていた。
よって、大原簿記学校ではBランクの理論だった「手続規定」を自分ではAランクに設定し、
理論を読み込んでいた。
結果、出題は「事業年度について述べよ」
何度も何度も覚えた、私にとって特Aの理論。
問題用紙は机におかれると透けて見えるので、開く前に出題はわかり、
試験前にガッツポーズ。
大原でBランクなら、半分の人間は書けない。
たとえ書けたとしても、私は全くマーク外の応用理論まで書ける。
もらった!と思った。
もう一問の理論も完璧。
計算はまぁまぁ。
幾重もの幸運に恵まれ、私は、この年の12月、
税理士試験に合格することができた。
結局、大学時代に1科目失敗しているものの、
本格的に勉強を開始してからの成績は、5勝0敗。
期間は3年と5ヶ月(消費税施行当初のため)
当時、朝から晩まで、生活の一切を犠牲にして、
それこそ、目から血が出る位勉強をして、結果を出すことができたことは、
大きな自信となり、これからの税理士生活に、
誇りを持って進むことができるきっかけとなったのである。