今日、巡回監査が終わり、社長の帰りを待つ間、
マイドキュメントの整理をしていると、5~6年前に、
生意気にも過去を振り返るつもりで書いた、
うちの事務所の創業時からの小説が出てきた(^^;
内容を読むと、とても面白いし、
かなり会計と、その所長&スタッフをわかっていただくためにも良いと思うので、
非常に気恥ずかしいのですが、加筆・修正を加えた上で、
少しづつ公開したいと思います。
是非、ご感想をメール&コメントでお聞かせくださいm(__)m
********************************************************
ある日の夜、東京府中市の中心部に建つ真新しい7階建てのマンションの一室。
通常なら居住用に使われるはずの、ワンルームマンション。
新しいキャビネットと机、OA機器のにおいが新鮮だ。
待ちきれずに真夜中に、蛍光灯を付けると、そこには夢の事務所があった。
「さぁ、いよいよ明日から始まるんだなぁ」
時に平成6年5月5日の夜。
金成所長、当時27才と半年。
月収、月3万円(第一号クライアントが決まっていた)
経費は家賃月6万7千円、TKC会費月3万円、その他に光熱費、通信費など。
初期投資、経理ソフトと法人税申告ソフトがインストールされた白黒のノートパソコン。
レーザープリンターに84万、インクジェットのファックスに20万、その他もろもろで総額200万。
資金は、ゼネラル石油時代に貯金した定期預金を充てた。
毎月、7万円強の赤字状態でのたった一人での船出だった。
すべての始まりは、平成6年はじめ。
TKC会員の、祁答院(けどういん)孝先生の事務所を訪問したことだった。
当時の私の独立開業についての認識は、独立開業は、会計事務所を3つくらい経験して、
35才で事務所をもてたらよい、という程度だった。
祁答院先生は、そんな私の常識を遙かに超えていた。
先生の独立開業は26才。当時31才。すでに関与先件数は100件。
スタッフ5名を抱える中規模事務所と成長していた。
当時TKC全国会の会員先生の中でも、拡大率が非常に高い先生として有名で、
金沢や九州に顧問先拡大セミナーに講師として呼ばれる程だった。
27才になったばかりの私は、㈱TKCのSCG、伊藤氏に伴われて祁答院事務所を訪問した。
今にして思えば、伊藤氏は私に独立開業の決意をさせるために、
祁答院先生に手伝ってもらうために連れて行ったのであろう。
新宿区四谷にある祁答院事務所は、入り口が狭く、奥に長い形で、
入り口に「けどういんかいけい」と書かれた「赤提灯」(夜はもちろん明かり赤くが灯る)
がぶら下がっており、一見すると「一杯飲み屋」に間違えそうな事務所であった。
酔っぱらった中小企業の経営者が、一杯飲み屋と勘違いして、祁答院事務所に入り込み、
中で深夜残業していた祁答院先生と意気投合して、
その場で関与先になったという伝説も残っている。
事務所の中は、入り口近くに、接客テーブルが2つ、中に進むと、左手に祁答院先生のブース。
先生の机には、当時発売されたばかりの「フィニッシュコーワ」が置いてあったのが、
とても印象的だった。
所長ブースを左手に見ながら奥に進むと、スタッフのワークスペースがあった。
驚いたことに、本棚には税務の専門書籍が一冊もなかった。
この後先生に、その訳をお聞きすると、
「わからないことは役所に聞くからいいの(笑)」ということだった。
さて、伊藤氏に連れられて、「赤提灯」に絶句しながら事務所の中に入ると、
入り口近くの接客スペースで、祁答院先生と中小企業経営者とおぼしき老夫婦が打ち合わせをしていた。
先生は「いらっしゃい~ちょっと待っていてね~(笑顔、女性的な高い声で)」
と迎えてくれた。
伊藤氏に導かれ、スタッフのワークスペースを通り、奥に入った。
私は、先生やスタッフのデスクやキャビネットなどを、きょろきょろと見わたしていた。
「こんな事務所を将来もてたらいいなぁ・・・・」と思いながら。
そのとき、先ほど打ち合わせをしていた、先生とクライアントらしい年配の夫婦との、
接客スペースでの会話が聞こえてきた。
「先生、うちも先生に関与していただいて、そろそろ1年になります。
そろそろ顧問契約をして報酬を取っていただけませんか?」
「いやいや、事情が事情だから・・・・
まだ結構ですから~大丈夫ですよ~(笑顔、高い声で)」
この会話に、私は度肝を抜かれ、頭をハンマーで殴られたような感覚を覚えた。
クライアントが報酬を取って欲しいと懇願する。それをまだまだと断る先生。
当時は、まだまだバブルの余韻が残るころ。
不動産投資やら保険の手数料に心躍らされている税理士も多い業界で、
そんな先生もいるのか?
当時、私は、税理士業界に入ってやりたいことがあった。
私が小さいころから、真夜中までたった一人で、仕事をして、会社経営をして、
借金のことを何も言わずに、2年前にガンで亡くなった父のような、
「世の中で一番がんばっていて、『一番偉い』中小企業の経営者」を助けたい、
役に立ちたい・・・・。本当に中小企業の経営者の立場に立てる税理士になりたい。
当時、税理士業界に疑問を持ち始めていた自分にとって、
理想像たる先生に出会えたことを確信した。
(つづく)
マイドキュメントの整理をしていると、5~6年前に、
生意気にも過去を振り返るつもりで書いた、
うちの事務所の創業時からの小説が出てきた(^^;
内容を読むと、とても面白いし、
かなり会計と、その所長&スタッフをわかっていただくためにも良いと思うので、
非常に気恥ずかしいのですが、加筆・修正を加えた上で、
少しづつ公開したいと思います。
是非、ご感想をメール&コメントでお聞かせくださいm(__)m
********************************************************
ある日の夜、東京府中市の中心部に建つ真新しい7階建てのマンションの一室。
通常なら居住用に使われるはずの、ワンルームマンション。
新しいキャビネットと机、OA機器のにおいが新鮮だ。
待ちきれずに真夜中に、蛍光灯を付けると、そこには夢の事務所があった。
「さぁ、いよいよ明日から始まるんだなぁ」
時に平成6年5月5日の夜。
金成所長、当時27才と半年。
月収、月3万円(第一号クライアントが決まっていた)
経費は家賃月6万7千円、TKC会費月3万円、その他に光熱費、通信費など。
初期投資、経理ソフトと法人税申告ソフトがインストールされた白黒のノートパソコン。
レーザープリンターに84万、インクジェットのファックスに20万、その他もろもろで総額200万。
資金は、ゼネラル石油時代に貯金した定期預金を充てた。
毎月、7万円強の赤字状態でのたった一人での船出だった。
すべての始まりは、平成6年はじめ。
TKC会員の、祁答院(けどういん)孝先生の事務所を訪問したことだった。
当時の私の独立開業についての認識は、独立開業は、会計事務所を3つくらい経験して、
35才で事務所をもてたらよい、という程度だった。
祁答院先生は、そんな私の常識を遙かに超えていた。
先生の独立開業は26才。当時31才。すでに関与先件数は100件。
スタッフ5名を抱える中規模事務所と成長していた。
当時TKC全国会の会員先生の中でも、拡大率が非常に高い先生として有名で、
金沢や九州に顧問先拡大セミナーに講師として呼ばれる程だった。
27才になったばかりの私は、㈱TKCのSCG、伊藤氏に伴われて祁答院事務所を訪問した。
今にして思えば、伊藤氏は私に独立開業の決意をさせるために、
祁答院先生に手伝ってもらうために連れて行ったのであろう。
新宿区四谷にある祁答院事務所は、入り口が狭く、奥に長い形で、
入り口に「けどういんかいけい」と書かれた「赤提灯」(夜はもちろん明かり赤くが灯る)
がぶら下がっており、一見すると「一杯飲み屋」に間違えそうな事務所であった。
酔っぱらった中小企業の経営者が、一杯飲み屋と勘違いして、祁答院事務所に入り込み、
中で深夜残業していた祁答院先生と意気投合して、
その場で関与先になったという伝説も残っている。
事務所の中は、入り口近くに、接客テーブルが2つ、中に進むと、左手に祁答院先生のブース。
先生の机には、当時発売されたばかりの「フィニッシュコーワ」が置いてあったのが、
とても印象的だった。
所長ブースを左手に見ながら奥に進むと、スタッフのワークスペースがあった。
驚いたことに、本棚には税務の専門書籍が一冊もなかった。
この後先生に、その訳をお聞きすると、
「わからないことは役所に聞くからいいの(笑)」ということだった。
さて、伊藤氏に連れられて、「赤提灯」に絶句しながら事務所の中に入ると、
入り口近くの接客スペースで、祁答院先生と中小企業経営者とおぼしき老夫婦が打ち合わせをしていた。
先生は「いらっしゃい~ちょっと待っていてね~(笑顔、女性的な高い声で)」
と迎えてくれた。
伊藤氏に導かれ、スタッフのワークスペースを通り、奥に入った。
私は、先生やスタッフのデスクやキャビネットなどを、きょろきょろと見わたしていた。
「こんな事務所を将来もてたらいいなぁ・・・・」と思いながら。
そのとき、先ほど打ち合わせをしていた、先生とクライアントらしい年配の夫婦との、
接客スペースでの会話が聞こえてきた。
「先生、うちも先生に関与していただいて、そろそろ1年になります。
そろそろ顧問契約をして報酬を取っていただけませんか?」
「いやいや、事情が事情だから・・・・
まだ結構ですから~大丈夫ですよ~(笑顔、高い声で)」
この会話に、私は度肝を抜かれ、頭をハンマーで殴られたような感覚を覚えた。
クライアントが報酬を取って欲しいと懇願する。それをまだまだと断る先生。
当時は、まだまだバブルの余韻が残るころ。
不動産投資やら保険の手数料に心躍らされている税理士も多い業界で、
そんな先生もいるのか?
当時、私は、税理士業界に入ってやりたいことがあった。
私が小さいころから、真夜中までたった一人で、仕事をして、会社経営をして、
借金のことを何も言わずに、2年前にガンで亡くなった父のような、
「世の中で一番がんばっていて、『一番偉い』中小企業の経営者」を助けたい、
役に立ちたい・・・・。本当に中小企業の経営者の立場に立てる税理士になりたい。
当時、税理士業界に疑問を持ち始めていた自分にとって、
理想像たる先生に出会えたことを確信した。
(つづく)