「徳、孤ならず、必ず隣有り」と読みます。

先月から、京都で月一開催される「社長塾」に顔を出しています。
http://164.46.100.116/05shokunou_kyouiku/syatyoujuku.htm

一人で参加しており、現地では誰ともお話しせず、
ただ「思索」を目的に参加しています。
(ま、ガチガチに凝り固まっているわけではなく、普通にいろいろな「遊び」はするつもり(。_・☆\ベキバキ)


開催場所は、坂本龍馬の墓所があることで有名な
「霊山記念館」です。

http://www.ryozen-museum.or.jp/index.html
とても雰囲気のある場所で、龍馬さん達の力をいただけるようです。シチュエーションは抜群(^^)

前回のテーマが、「徳不孤、必有隣」。

徳には、「陰徳」と「陽徳」がある。

「陰徳」は世に黙々と徳を果たすこと。
「陽徳」は世に公開で徳を果たすこと。

例えば、神社に寄付をするのは、良いことであり、
寄付当初は、「陰徳」であるが、
「灯籠」に、「寄贈 ○○」と掘られたところで、
それは「陽徳」となり、

「御利益は相殺だな・・・」と伊與田先生がポツリ(^^;

会場は爆笑でした。

「徳」とは、寄付をしたり、ゴミ拾いをしたり・・・もあるが、自分に与えられた能力を最大限に発揮して、与えられた仕事を一所懸命に実行することでもある。
その仕事を「黙々」と「淡々」とこなす。
そして、役割を終えたら、黙ってこの世を去る。

そう考えれば、草木や桜の木も、
皆「陰徳」を積んでいる。

その「徳」は一見「孤」すなわち「孤独」に見えるが、
必ず、「隣」がある。すなわち、「同志がいる」
「後を継承する者」がいる。また、必ず「誰かが見ている」。

それは、私たち一代でかなえられなくとも、次世代にわたって・・・である。

私は、松本零士の銀河鉄道999に出てくる次の下りが大好きです。(別の作品にもよく出てきます。)

「例え今は、負け、志半ばで死んでしまったとしても、必ず、同じ志をもった、第二、第三のゼーダ(人名)が現れ、必ず、夢を果たす。」

会社経営で考えてみれば、「陰徳を積む」ことは、
「良い流れ」を作る上で欠かせないこと。

会社経営がちょっとうまくいくと、酒の場で、うまくいったことを膨らまして話し、本を出し、ノウハウもちょっと膨らまして、セミナーにして・・・と考えがちだが、この「陰徳」の「陽徳」化は、よほど、注意しないと、逆にツキを失うことにもなりかねません。

うまくいっていることは、黙々と行うことにこしたことはありません。周囲が自慢げに自分のやり方を話そうが、私たちは淡々と自分の仕事を行うことです。