断食参加者は、滞在中2回まで、住職さんにお悩みを相談することができます。
住職さんが都合でできない場合を除いて、毎日16~17時の間、住職さんが大広間に来られるので、相談したい人は大広間に行くと相談できる、と言う感じです。
予約制とかではなく、その時次第。
時間近くになると、住職さんが本堂のある下から禅堂まで上ってくる前に「今から行きます」というアナウンスをされます。
個室とかではないので、プライバシーはないです
各お部屋のドアはしっかりしているので、室内にいればほとんど聞こえないと思うけど、住職さんはお経も読まれるからか声も大きく、洗面所の方にいれば聞こえるかも。
私は相談したいような悩みはありませんが、せっかく機会があるから一度は相談に行ってみようかな、と思っていました。
(「悩みがなくてもお気軽に」とも書かれています)
心理学やカウンセリングを勉強したこともあって、こういう時にお寺のお坊さんがどのようなお話をされるのだろうというのも興味がありました。
ただ初日の「怖っ」って言うのもあり、やめておくかと思ったりもしつつ、でもここに来たきっかけなどを話した別の参加者の方にも「今日相談に行ってみたら?」とすすめられ、4日目に時間に大広間に行きました。
この日は他の人は来ず、私の悩み?を相談することになりました。
お悩み相談について、ブログにどのように書くか、ずっと考えていました。
正直、「絶句…」だったのです。
その場では穏やかに、「ありがとうございました」とお伝えしました。
住職さんはこちらが心配になるほどお忙しく、朝から晩まで働かれています。
そんな中、私の相手で1時間以上費やし、その点では本当に感謝しています。
しかし、その時もこれ大丈夫なのかな?と思いましたし、帰ってきてからも日を追うごとに、いつもああなのだろうか、私のアプローチの仕方が悪かったから変な方向に行っただけなのか?
もしいつもあのようなら傷付く人がいるのではないのか?とも思ったりしています。
実際私も傷付いたというか落ち込みましたが、比較的すぐ立ち直ることができ、そして結果として自分の目的の断捨離はバリバリできていますし、良くも悪くも良い経験だったと今では思っています。
ここに来たきっかけ
・自宅の断捨離をしたいけど、特に両親から引き継いだものがなかなか捨てられない。
・自分の好みのものではないし、これから使うこともないと思う。
・それらを引き継ぐ人もいないし、私が亡くなった後に整理してくれる人にも迷惑だからなるべく処分しておきたい。
・なかなかできないので、引っ越しでもすれば整理できるかとも思ったけど、それは現実的ではないので、しばらく自宅を離れて気持ちを切り替えようとこちらに来ることにした。
などということをどーっとお話しました。
最初にどーっとお話したのが悪かったのか、それで私のことを決めつけたからあのようになったのか。
予想というか、期待としては、「物は物でしかないのだから、執着を捨てて感謝をして手放しなさい」(断捨離的考え?)とか後押しをしてくれるのかと思っていたのですが。
住職さんの言葉は具体的には書きません。
期間限定で公開することも考えました。でも、期間限定でもちょっと問題あるかも?
さわりだけとも思ったのですが、さわりだけでも、言われた言葉を具体的に書くと、断捨離界?の皆様を敵に回してしまいそうです
ので、かなーりざっくり、マイルドに書くと、
私は断捨離するかどうかを迷っているのではなく(断捨離することは決定事項)、断捨離したいのにできなくて困っている、というのが悩みなのです。
が、それに対して、無理して断捨離する必要はないのでは?嫌な物を排除するのではなく受け入れれば?というようなことを言われるんです。
前提が違うので、いやいや…と、内省(自省)も促されません。
いや〜、でも〜と言うと(断捨離の効果とかまで語ってしまいましたよ)、
こんなに言ってるのに自省しないってどう言うこと?頑固すぎる、と。
その時は私が悪いのかな?と言う気分になりました。
そして、物の断捨離をしたいということは人間関係も断捨離したいのだろうと決めつけられ(これはある程度当たってますが)、
嫌なものを避けるような楽な道を選んでいては将来大変なことになる、と言われるんです。
うーん。。。
(そもそも私「嫌な」とは言っていない、「好みじゃない」という言葉を使ってるんだけど。勝手に置き換えられることも多かった)
初日からの「怖っ」て言うのもまだ抜けておらず、禅堂というある意味住職さんが絶対的存在の場所でこのように言われると、私が間違ってるのか?という気分になって、
私の生き方は間違ってるのだろうか、と落ち込み、一晩悩みました。
しかし、一晩寝ると落ち込みはなくなりました(私の特技でもある)。
他の参加者の方にも何人か話して慰めてもらったのも助けになりました。
そして時間が経ち、ほとんどのことは「私とは考え方が違う、価値観が違う人の話だった」と思うようになってます。
その中でも、今後の役に立つお言葉はありました。
「慣れれば極楽」と言うことです。
最初違和感があっても、慣れてしまえば極楽(気にならなくなる)ということです。
このように思うことで、ちょっとした雑音など気にならなくなります
ただ、断捨離で言うと、慣れてしまった結果、気付けば使いもしないモノ(ゴミの山)の中で生活している、と言うことにもなりかねませんよ
私は無理をしてたくさんの人と付き合う必要はないと思ってるんです。
若いころからずっとこう思っていたわけではなく、色々な経験をしたり本を読んだりした結果、このような考えにたどり着いたのです。
もう50代。人生の折り返し地点を過ぎています。
これからは(人に大きな迷惑をかけない範囲で)自分の気持ちに正直に、好きなように生きようと思うに至っています。
これは私一人の極端な考え方ではなく、今そのような生き方を心がけている人は結構いると思います。
ちょうど帰って来てモヤモヤが残っているときに目にした記事です。
これに賛成、まさにこう思っています。
あと、楽な道を行ってはいけないのでしょうか…
これもこの歳になってようやく「楽に生きていいんだ」、「楽に生きよう」と、楽に生きることを自分に許せるようになったのです。
禅の教えとは違ったのかな?と思いましたが、帰って来て本棚を見たら、過去に読んだ禅の本にも書いてありました。
そして、いらないものを捨てることもアドバイスされています。
ちなみに、断捨離は決して楽な道ではないです。
だいぶ捗って、書類やパソコンの処分もしてますが、とても疲れます。少し作業しては疲労困憊して横になり…を繰り返して少しずつやってます
本来は、この「禅と暮らす7日間」のプログラムと断捨離や終活は親和性が高いと思うんですよね。なんならプログラムの中に断捨離講座や終活講座を入れてもいいんじゃないかというくらいです。
なのにそれを否定するような内容でしたが、私のアプローチが悪かったのかも知れないですね。
それで決めつけられ、否定するようなことを言われた結果あのようになったのかも?
私はこの「禅と暮らす7日間」のプログラム、本当に素晴らしいと思っています。
多くの人におすすめしたいです。
しか~し、「お悩み相談だけは慎重に!」と言いたい。
「お気軽に」と書かれていますが、気軽にお悩み相談してはいけません
最終日にちょっとだけお話した参加者の方は3回目のリピーターでしたが、毎回住職さんとお話するのを楽しみに来られているそうです。その方がお悩み相談をされているのか、ただお話をしているだけなのかまでは聞けませんでしたが、合う、合わないもあると思います。
いきなりお悩み相談するのではなく、まずはちょっとお話してみて、「この感じだと悩みを話しても良いかも」と思ってから相談するのが良いと思います。
私も別に住職さんを悪くは思っていませんし、普通のお話はしたいです。
が、二度とこの方にお悩み相談をすることはありませんし、他でも「お悩み相談」をうたっている場所で気軽に相談するのはやめようと思いました。