最近観たアニメの一つに「推しの子」がある。登場人物の一人である星野アイは様々な素性を隠しながら完璧なアイドルを演じる。
そのアイが放った言葉…
「嘘はとびきりの愛なんだよ?」
「私にとって嘘は愛。私なりのやり方で愛を伝えてきたつもりだよ」
ステージの上で歌って踊って多くの人に夢や希望を届けるアイドルという職業。自分の魅せ方を研究し、理想のアイドル像をその人なりに作り上げていく。そのアイドルとしての姿が嘘という武器でできている人もいれば、素の自分を曝け出す人もいる。見ている人が求めるものによってその好みは変わるからこそ、自分の表現の仕方に不正解はないと思う。そんな自分を演じることは、アイドルだけでなく多くの人にも当てはまるものじゃないだろうか。
友達と一緒にいる自分、親の前でいる自分、恋人と一緒にいる自分、親として子供の前にいる自分、仕事場での自分…色んな自分の役割があるからこそ、自分の演じ方も変わる。例えば、親になってなんか雰囲気変わったねと言われるとする。そんなの当たり前。だって、この小さな命はほんの少しのことで命を落としてしまうほど危険なものだから覚悟と責任が強く芽生え、変化が生まれる。
自分の中にある一部分を色濃く映し出したり、自分の中には無かったものを創り出したりして演じるのだ。私は多面的な自分を持ち、何かの自分を演じることを悪いことだとは一切思わない。だって、演じることが自分や相手を守る鎧になるから。
全てにおいて素の自分を曝け出すことは誠実で親しみやすく、理想に思われやすいが、ダメ出しをされた時に素の自分を否定されたと思い、自分が崩れてしまう可能性が高い。一方、自分を演じる中で否定されても、この時の自分が否定されただけで自分の全てが否定されたわけではないとワンクッションおいて考えられる余裕ができる。
今、あなたの周りにいる人も、その人なりの正義があって自分の一部を演じているだけなのかもしれない。あなたが見えているのは事実として写っている一部だけで、真実はその人のずっと奥深くに隠されていて簡単には見えないのかもしれない。だからこそ、見た目やほんの一部分の言葉や態度でその人を簡単に判断するのではなく、その人の奥深くに眠っている真実を探しに行こうとする努力をしよう。嫌いなあの人の言葉にどんなトゲがあったとしても、それはその人の鎧の一部なのかもしれないから。そういう見方ができると、きっと少し楽になるんじゃないかな。
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