【自分らしさを取り戻す時間】
先日、映画『Michael』を観た。
そこに映っていたのは、「キング・オブ・ポップ」と呼ばれた圧倒的なスターではなく、幼い頃から家庭環境に苦しみ、その傷を抱えたまま生き続けた一人の人間だった。

どれだけ傷ついても、何度も自分を奮い立たせ、ファンのために、子どもたちのために、家族のために、世界平和のために自分に与えられた使命を果たそうとステージへ立ち続ける姿は、本当に美しかった。

でも、私が一番心に刺さったのは、華やかなステージではなく、彼が動物と触れ合ったり、本の世界に没頭したり、映画に没頭したりと音楽から少し距離を置いて心を休ませている時間だった。
きっと彼にとって、それは「逃げる時間」ではなく、「自分らしさを取り戻す時間」だったのだと思う。

人は何かを成し遂げるために努力する。
でも、本当にその人らしく立ち続けるためには、自分の心を休ませる余白も同じくらい必要なのかもしれない。

そう思ったとき、最近の自分が重なった。
感受性の低迷期。いわゆる、心が少し麻痺している状態。

大好きな映画を観ても、以前のように胸が高鳴らない。
本を読んでも、景色を見ても、美味しいものを食べても、湧き上がる感情は「うん、普通」。

振り返ると、この感覚は月4回投稿が滞り始めた頃からだった。
私は、見たものや感じたことを言葉にすることで、自分の中のモヤモヤを整理している。書くことで心に余白が生まれ、また新しいものを受け取れるようになる。だから私にとってアウトプットは、「発信」ではなく「心の呼吸」のようなもの。

でも今は、仕事と英語の勉強に力を注ぎすぎて、大好きな本や映画と向き合う心の余裕がなくなっている。
時間がないわけじゃない。それでも疲れ切った頭は、何も考えなくて済むSNSへ逃げたくなってしまうのだ。

仕事を頑張る理由も、英語を学ぶ理由も、結局は「心豊かに生きたい」からだったはずなのに、その心を置き去りにしてしまったら、本末転倒だ。

だから私にとって、ぼーっと何かを感じる時間も、決して無駄なんかじゃない。自分らしく生きるために必要な、大切な余白なんだ。

この苦しい状況を変える方法も分かっている。
仕事と英語に感じている負担を少しずつ軽くすること。分からないことを減らし、不安を減らし、今より少しだけ心に余裕を作ること。

私は昔から不器用だから、一度に三つも四つも器用にはこなせない。
だからこそ、焦らず、一つずつ。

そして、どれだけ忙しくなっても、マイケルが動物や本・映画の世界に心の居場所を見つけていたように、私も私の心が帰ってこられる場所を失わずにいたい。
それがきっと、これからも私らしく歩き続けるために、一番大切なことなのだと思う。

届け!私の愛💕