藤井風ピアノリサイタル

 

藤井風ピアノリサイタル、チケット2次抽選受付のお知らせ。


https://x.com/fujiikazestaff/status/2113556262910857416?s=46&t=C00mcgIo3BIdUXnqvj3QGA

 

 

 

 昨日の12時開始までどう申し込むべきか悩んだ挙句、最終的に私一人で申し込みました。


何で悩んだかというと、これまで藤井風のライブチケットを申し込んだことのない夫を主体として、私は同行者として申し込むほうが当選確率が上がるのでは?と思ったからです。

 

もちろん、何の根拠もありません。

でも、SNSで「クレジットカードやIDを別のものにして当選した」というコメントを読み、やってみる価値はあるかもと思いました。

 

そこで、もともと東京ドームなら自分も行きたいと言っていた夫に、

 

「行けるとしたら、ピアノリサイタルとプレマツアー、どちらのほうがより行ってみたい?」

 

と問うたところ、

 

「そりゃあ、Prema World Tourでしょう」

 

とのことだったので、Prema World Tourのリセールをその作戦で申し込むことにして(効果のほどは不明)、今回のピアノリサイタルは自分だけで申し込んだのでした。

 

 

チケット全落ち問題を、カーネマンで考えてみた

 

それにしても、チケット落選時の心理的ダメージがあまりにも大きすぎて、いったいなぜここまで引きずるのだろう・・とずっと考えていました。


この時です


 

それを考えていて思い出したのが、ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンの著書「ファスト&スロー」でした。




この本では、人間が意思決定する上でのバイアスや判断エラーを、行動経済学や認知心理学の実験を通じて解明しています。


中でも、26章でとりあげられている「プロスペクト理論」を読みなおして、私の事例が説明できそうに思ったので、自分なりの解釈で書いてみます。



人は絶対評価ではなく、比較で生きている


プロスペクト理論では、人は物事を絶対的な価値で判断しているわけではないと考えます。
大切なのは「参照点」です。

参照点とは、自分の中の基準。ものさしのようなもの。

たとえば年収1,000万円の人がいたとします。
それだけ見れば単なる1,000万円ですが、前年が800万円だった人と、前年が1,200万円だった人では感じ方がまったく違います。

同じ1,000万円でも、「200万円増えた」なのか、「200万円減った」なのかで、嬉しいのか残念なのか、意味は変わりますよね。


人間は絶対値を見ているようでいて、実は参照点との差分を見て生きている。


カーネマンはそう考えました。



私の参照点が変わった


今回、最初の私の参照点は案外低かったのです。


ピアノリサイタルは激戦だろうから、当たるほうが奇跡。
普通外れるよね。

そのくらいの気持ちでした。
 

ところが、SNSを見ているうちに、私の中の参照点が静かに動き始めました。

「Prema World Tourに続いて、ピアノリサイタルでも風さんに会える」

「2週連続で風さんを浴びることができます」


そんな報告が次々と目に入ってくると、私の頭の中の基準がいつの間にか変わってしまいました。

「当選する人も、落選する人もいる」

という当初の基準から、

「何度も当選している人がいる」

が新しい基準に。

その基準で自分を見ると、何ひとつ当たっていない自分がまるで損をしているような気持ちになってしまったのです。


損失回避性


ここでプロスペクト理論のもうひとつの重要な考え方が出てきます。

人は利益を得た喜びより、損失の痛みのほうを何倍も強く感じる、とカーネマンは言います。
これを「損失回避性」と呼びます。

たとえば、1万円を拾った喜びよりも、1万円を失くしたショックのほうが大きい。
そう言われれば、そうかもしれません。

今回のチケットも、同じなのかもしれません。

冷静に考えれば、私は何も失っていません。

もともと持っていたチケットが消えたわけではないのです。

 

なのに、心はそうは受け取りません。

参照点が上がったことにより「複数当選している人たちが得ている体験」が基準になった瞬間、私の全落ちは単なるゼロではなくなり、「手に入るはずだったものを失った」という感覚に変わってしまう。

まさにこれが、プロスペクト理論の世界。

チケット以上のものを失っていた


さらに考えてみると、私が失ったと感じているのは、チケットそのものではありませんでした。

ホールに響く藤井風のピアノの音や、同じ場を共有する方たちとの幸せな一体感。


そこに向かうまでの、どんな服装で行こうかとか、グッズをどうするかといった、開演前の高揚感。


終演後の余韻や、のちに繰り返し反芻するであろう、心の動いた瞬間。

そんな未来の風景です。
落選した瞬間に消えたのは、一枚のチケットではなく、期待していた未来でした。

カーネマンの理論で考えると、今回の苦しさには理由がありました。

参照点が上がったこと。
損失回避性が働いたこと。
そして、人は不公平だと感じると損失をより強く認識すること。

落選での傷つきは、きっと、自分だけ取り残されたような気持ちになったから。

 

でも現実には、取り残されたわけではありませんでした。

抽選に意志はないし、当選した人が悪いわけでもない。

 

それでも心は理屈どおりには動かないのですね。

人間は数字や確率ではなく、比較と感情で生きていることを、改めて教えてくれたカーネマンの理論とチケット当落騒動だったのでした。

 

母の体調不良が顕在化した今、もし福岡や大阪が当選していたら、それはそれで現実的には大変だったはず。


今回は東京ドームだけ、リセールも申し込んでみようと思っています。

 

It's All right。

そういうことだったのかな、と思えるようになりました。